カレンダーはひとところにまとめ置いて、大晦日に掛け替える。
そうだったよね、と、年末年始のゴミの日を確認していた夫が、
念を押すようにわたしに訊いた。
苦笑しながら、うん、と、うなずく。
不要なものはすぐにでも捨ててしまいたい、という夫にしてみれば、
残りわずかな日にちのためだけのカレンダーは、暮れの最後のゴミの日に出してしまいたいのだろう。
確かに、年末にこなさなければならない予定や用事は、
他の紙に事細かに紙に書き出してあるし、
今は携帯電話やパソコンにもスケジュール表があるのだから、
今年一年のカレンダーを年内に捨ててしまったところで、困ることなど何もない。
ないのだけれど。
でも、そういえば、わたしが子どもだった頃、年末年始のゴミの始末はいったいどうしていたのだろう。
が、いくら記憶を探ってみても、思い当たることはなく、
浮かんでくるのは、休むことなく立ち働く母の後ろ姿ばかりだった。


家で着物の仕立て仕事をしていた母は、わたしが高校に入学すると同時に会社勤めをはじめた。
勤めと家事に明け暮れて、時間に追われるばかりの日々。
そんな暮らしの中、多少手を抜いたところで文句を言う者などいないのに、
母は毎年きちんと正月を迎える準備をした。
仕事納めの翌日の朝早くから、家中の窓を開けはなし、
置いてある小物のひとつひとつにまで丁寧にはたきをかけはじめるのだった。
わたしには自分の部屋の片付けを命じるくらいで、不思議と手伝いを強いることはなかったが、
それでも、八ミリフィルムを早回しするかのように、かたかたと動き続けるその姿は嫌でも目に入る。
足手まといになるばかりの小さな子どもの頃ならともかく、
16,7にもなって、ひとり寝そべってマンガを読んでいるわけにもいかない。
どうにも居心地が悪くなり、結局は「何かすることある?」と自らご用聞きになって、
丸めた新聞紙で窓硝子を拭いたり、買出しの荷物持ちになったり、
粉まみれになりながら「のし餅」を切ったりしているうちに、あっというまに大晦日がやってくるのだった

大晦日の朝。
まずは、黒豆の鍋を火にかける。
前の晩に一度煮立たせ、砂糖や塩や醤油、錆び釘を入れて火を止めて、
そのまま台所に置かれていたその鍋の中は、すでに黒々と光っていて、
のぞきこむわたしの顔が鏡のように映っている。
ふつふつと湧いてくると、薄灰色の泡のような灰汁(あく)が浮きはじめる。
それをこまめに掬い取りながら、根気よく、ことことと煮込んでいく。

銀色のボールに入った黄金色の数の子も、前の晩から水に浸けてある。
その端をわずかに折って、口に入れ、
ぷちぷちと噛みながら、まだ辛いね、もう少しだね、と、何度も言い合う。
ちょうど良い塩梅にするのが難しく、芯に残った塩気は舌を刺すほどにしょっぱいし、
反対に抜きすぎると、えぐくなる。
昼を過ぎて、ようやく母が「こんなものかしら」と呟いて、今度は爪楊枝で薄皮を剥いていく。
筋に入り込んだ薄皮を剥がしては水で洗い、それを繰り返すごとに指先がかじかんで、
しまいには細い爪楊枝を握る、その感覚さえもあやふやになってくる。

黒豆を煮る傍らで、いくつもの鍋を火に掛けていく。
にんじん、ごぼう、しいたけ、蓮根、里芋。
それぞれ火の通り加減も味の含み具合も違うから、家中の鍋を総動員して別々に似ていく。
味付けは一手に母が担っているから、わたしの役割はもっぱら切ることばかりだった。
泥だらけの里芋を洗い、六方に皮を剥き、にんじんを輪切りにして飾り包丁を入れ、梅の花にする。
どうしても母の手本のようにはいかなくて、不揃いの五枚の花片が悔しかった。

雑煮の下ごしらえをする頃には、もう日が暮れはじめていて、
灯りをつけるのも忘れて作業に没頭していると、気づけば小窓から西日が差しこんでいて、
小さな台所は金色の光に包まれている。
鍋やボールの触れあう音や、ほとばしる水の音ばかりが響く台所は、やけに静かで、
淡い光に照らされながら、ただもくもくと手を動かす母は、
まるで何かの儀式を執り行っているかのようだった。

そう、正月を迎える準備というのは、どれも儀式のようなものだったのだ。
ひとつひとつ手間のかかることばかりなのに、その手間を煩わしく思うよりも先に、
「決まり事」として受け入れていた。
玄関の「お飾り」や鏡餅をお供えするのも、三十日と決まっていた。
三十一日に飾るのは「一夜飾り」と言って、新年の神様を忙しなく迎えることになり失礼にあたる、
かと言って、二十九日は「二重に苦しむ」で縁起が悪い。
母から聞いたそんな謂われさえも、その一連の儀式の中で耳にすると、
なるほど、と素直にうなずいてしまうのだった。

カレンダーを掛け替えるのも、そんな儀式のひとつだった。
暦を掛け替えるのに正式な決まりなどあるのかどうか知らないけれど、
母は決まって、大晦日にカレンダーを掛け替えた。
日暮れて、ようやく出来上がったおせちをお重に詰め、
その残りもので簡単に夕食を食べ、台所をきれいに片付ける。
お屠蘇の支度をして、お重と共にテーブルに並べ、そこへまっさらな布巾をかける。

そうして、すべてが調ったことを確認してから、家中のカレンダーを外していくのだ。
薄っぺらいカレンダーを外しては、新しいカレンダーをかけ、
その一枚目を、丁寧にゆっくりと破り取る。
ようやく今年が終わった、と、安堵するかのように。
ようやく表われた新しい年に、期待をこめるかのように。

ゆっくりとお風呂に入り、この日だけは母の部屋に並べて敷いた布団に横たわる。
除夜の鐘を聞くまで起きている、と言いながら、寝ころんでテレビを見るうちに、
母はいつのまにか寝てしまう。
枕もとには、新年に着る服と新しい下着がきちんと一式揃えてあって、
それもこの小さな家に新年の神様を迎えるための、小さな儀式のひとつなのだった。


あの頃、新しい年の新しい朝は、いつだって、きりりと寒かった。
しんとした寒さの中で、新しい下着をつけ、きちんと畳まれた服を広げて袖を通すと、
からだの芯がつららのように真っ直ぐになった。
深く息を吸い込むと、新しい年の新しい空気の匂いがした。

今は、おせちも買ってきたものを並べるだけで済んでしまうし、
元日から営業している店も少なくないから、手間をかけて正月料理を用意することもなくなった。
大晦日は夜更かしをして除夜の鐘を聞くけれど、元旦はいつもと変わらぬ服を着て、
エアコンの効いた暖かい部屋で、いつものようにまずは目覚めの珈琲を飲む。
手間暇かかることがなくなった分だけ、新しい年も簡単にやってくる。
決まり事が省かれた分だけ、新しい朝が特別ではなくなった。

無論、正月を迎える準備が楽になったことは有り難いことだし、
今更あの頃に戻れと言われても、とうてい無理だ。
それでも、あの新しい朝の凛とした空気を、懐かしく思うことがある。
無事に一年を終え、真新しい一年が始まることの、その「特別」さを、
もう一度味わうことができたなら。
大晦日にカレンダーをかけ替えるのは、そのためなのだ。

そのことを知っている夫は、毎年、わたしに念を押す。
まるで自分に言い聞かせるようにして。
そして大晦日には、率先して古いカレンダーを外して、新しいものに変えていく。
丁寧に一枚目を破いて、ふたりで眺める。
無事に一年が終わったことに感謝しながら。
すぐにやってくる新しい年に、思いを馳せながら。