夏の最中(さなか)。わたしは夫と、本郷の裏通りを歩いていた。
ちょうどお盆の頃だった。
休暇を取る人が多いこの時期、東京の街は静かになる。
人も車もいつもよりずっと少なくて、空も空気も澄んでいる。
夏が大好きで暑さをあまり苦にしないわたし達は、ゆっくりと散歩を楽しんでいた。

本郷には、古くからの建物が残っている。
木造三階建ての下宿屋や、天上の低い日本旅館、一葉の旧居や、今も尚使えるという井戸。
路地を入れば長屋風の家が軒を連ね、角をまがれば短い坂がいくつも繋がっていて、
どこか古い映画を思い出させる。
そんな路地を、あみだくじを辿るように歩いていくと、
まるでその先が断崖絶壁であるかのように、道の突端がすっぱりと消えていた。
おそるおそる進んでいくと、そこから幅の狭い急な階段が始まっていて、
ほっと安堵したわたし達は、両脇に迫る家のあいだを足音を忍ばせて下りていった。

と。どこからか、野球中継の音が聞こえてきた。
淡々と喋るアナウンサーの声、湧きあがる歓声、声を張り上げて唄う応援団。
高校野球だ。
さほど大きな音ではない。どこかくぐもっているようなその音を辿っていくと、
そこは子どもの頃よく見たような、飾り気のないこぢんまりとした二階屋で、
階段に面した部屋の窓が大きく開いているのだった。
夏の強い光に包まれているわたしの目に、網戸を張ったその窓の中はやけに薄暗く、
ただ、ちらちらと瞬くテレビの光が、背の低い扇風機と小さな座卓の輪郭を、
ぼんやりと映し出しているだけだった。
吸い寄せられるようにしてその薄闇を見つめていると、ふいに座卓の下で白いものが動いた。
老人のものらしい、痩せた足だった。

示し合わせたかのように、わたし達はその窓の少し手前で歩みを止めていた。
じっと黙ったまま、こぼれてくる音を聞いていた。
それはなぜか耳に心地好く、懐かしい音だった。


思えば、子どもの頃、家々の窓はいつだって開いていた。
家で着物の仕立て仕事をしていた母は、よくラジオをかけていた。
音量をうんと絞っているものだから、庭で遊んでいるわたしには何の番組なのか分からない。
それでも家の中から音が聞こえてくると、どこか心丈夫で嬉しかった。
ラジオやテレビだけではなく、家事仕事をする音も、開いた窓から聞こえてきていた。
ぱたぱたとハタキをかける音、大きな唸り声をあげる掃除機の音。
洗濯機の勢いよく回る水の音、そのまま走り出すのではないかと思うほどガタゴトと揺れる脱水の音。
風呂場を掃除するときの、洗面器とタイルの触れあう音。
そんな音を聞いているだけで、母が今何をしているのか、どこにいるのかが分かるのだった。
そこにちゃんと居る、ということが分かるから、ひとりでいても寂しくなどなかった。

半日で学校が終わるとき、その帰り道には、いつもどこからか良い匂いが漂ってきていた。
台所の小窓から、昼ごはんの支度をする音が聞こえてきて、
ぐうぐう鳴るお腹の虫に急かされながら、家まで走って帰っていった。
通り過ぎる家々の窓から、野球中継のアナウンスや「のど自慢」の鐘が音が聞こえていた。
友だちと遊んで帰りが遅くなった冬の夕方。
今にもとっぷりと日暮れてしまいそうで、どこか心細いような気持で足早に歩いていくときも、
道に面した家々の窓からは、灯りと共にさまざまな音がこぼれていた。
くぐもったテレビの音と、子ども達の走り回る音、母親の叱る声。
台所の窓からは白い湯気がのぼり、勢いよく流れる水の音がきゅっと止まったかと思うと、
とんとんと、まな板で何かを切る包丁の音がする。
うちでも母親が同じように夕食の支度をしながら、自分を待っている。
もう日が暮れるのに、と心配して、何度も窓の外をのぞきながら。
そう思うと、居ても立っても居られないような気持になって、やがては走り出し、
息を切らしながら「ただいまっ」と、家のドアをあけるのだった。

あの頃、住宅街の路地に面した家々の窓は、いつだって開いていたのだ。
穏やかな春や秋はもちろん、蒸し暑い梅雨の夕暮れや、焼けつくような夏の午後にも、
窓は開け放たれていた。クーラーなど、どこの家にもあるものではなかったから、
暑さを凌ぐには、窓を開けて、風通しをよくするしかなかったのだ。
しんしんと冷え込む冬であっても、それは同じことだった。
台所の換気扇は、プロペラがくるくると回るだけの簡単なものだったから、
煮物や揚げ物をするときには必ず流しの上の小窓を開けていたし、
暖をとるストーブはたいてい灯油や石油をつかっていたから、
一日に何度か窓をあけて空気をいれかえなければならなかった。

路地で遊ぶ子ども達の誰かが、転んで大泣きしていると、
細く開いていた台所の小窓が、がらりと大きく開いて、どうしたの、と、大人の声が飛んできた。
庭に面した掃き出し窓の間から、白いメリヤスシャツを着たおじいさんが顔を出し、
どうした、と、垣根越しに声をかけてくれたこともあった。
男の子達が大声で言い争ったりしていると、二階の窓から身を乗りだしたおばさんに、
うるさい、喧嘩なんかしてるのは、どこの子だ、と大声で叱られた。
口を尖らせたまま黙り込む子ども達を見て、おばさんはにやりと笑い、
軒下に干した洗濯物の乾き具合を確かめると、窓の奥にすっと引っ込んでしまうのだった。

開け閉めをすることが多いものだから、窓に鍵をかけるのは、出かけるときと、
寝る前の戸締まりのときくらいだった。よく知った隣近所の家を訪ねるときは、
勝手に庭に入っていって、掃き出し窓の透き間から、こんにちわ、と声をかけた。
外が騒がしいときには、誰もがすぐさま窓を開けて、顔を出した。
突き出た顔と顔で、どうしたのかしら、何かあったの? と、口々に言い合っていた。

細く入り組んでいた路地が消え、背の高いマンションが建ちはじめ、
どの家にも冷暖房が備えられるようになってから、窓は滅多に開けられなくなった。
近所づきあいよりも、プライバシーや防犯のことばかりに目が向けられて、
窓から声がかかることも、窓と窓で会話をすることもなくなってしまった。
夕暮れに家路を急ぐときだって、家の中の音は聞こえてこない。
ただ、街灯に照らされたアスファルトの道を歩く、自分の靴音が聞こえるだけだ。


いつも聞いていたはずのあの音は、いったいどこにいってしまったのだろう。
いつの間に、消えてしまったのだろう。

急な階段の途中に佇んで、野球中継の音を聞きながら、わたしはいつの間にか時を遡っていた。
夏の強い光が開けた穴から、時の狭間に入り込んでしまったかのようだった。
ここがどこなのか、今がいつなのか、よく分からなくて、ただぼんやりと立ち尽くしていた。

ふいに、ちりん、と風鈴が鳴った。
かすかな風が階段を通り抜け、どこかの家の軒先の風鈴を、二度三度と鳴らしていった。
夢から醒めたように顔をあげると、夫もまたわたしを見て、かすかに頷いて微笑んだ。
無言のまま、足音をしのばせて、階段をおりていく。
窓の開いたその家を通り過ぎてから、そっと振り向くと、
白いメリヤスのシャツを着たおじいさんの横顔が、ぼんやりと見えた。
いつかどこかで見た顔のような気がした。
野球中継は、まだ続いている。