久しぶりに、アイスクリームを買った。
カップ入りのバニラアイスをひとつ、スーパーのレジにことりと置く。
「あちらにドライアイスがありますので、ご自由にどうぞ」

売り場の片隅に置かれた青いクーラーボックスのふたを開けると、
小さなビニール袋に入ったドライアイスが、無造作に重なっていた。
家までは、歩いて数分。アイスクリームが溶けてしまうほどの距離ではない。
でも……。
「どうする?」 
横から覗きこんでいた夫に、そう訊かれたとたん、わたしは言っていた。
「もらっていく」

コップに水をなみなみと注ぐ。
ビニール袋の中のドライアイスを、たぽん、と入れる。
半透明の白いかたまりから、泡がぷくぷくと湧き出して、水面(みなも)に浮かぶ。
浮かんだと思う間もなく、泡は弾けて煙りとなる。
もくもくと生まれ出る、真っ白な雲。
そう、これがやりたかったのだ。


子どもの頃、ドライアイスは特別なものだった。
「ご自由に」などと書かれてスーパーに置いてあるものではなかったし、
もちろん駄菓子屋の店先で、冷凍ケースに手を突っ込んで買うアイスキャンディにも、
ドライアイスなどついてなかった。
アイスというものは、その場で食べてしまうものだった。
もしくは、溶けないうちに、と、走って帰るしかなかったのだ。

ドライアイスがついてくるのは、ケーキ屋さんやデパートの食品売り場で売っている、
ちょっとヨソイキなアイスクリームやシャーベットを買ったときだけだった。
と言っても、家族で食べるアイスをわざわざそんな所で買ったりはしないから、
たいていは、「お客さん」――親戚とか母の友人とか――が携えてくる「お土産」の中にだけ、それは入っていたのだった。

幼い頃から、母と娘のふたり暮らしだったから、お客さんが来るのは嬉しかった。
はい、と手渡されるお土産の箱は、まるで宝箱のようだった。
が、ケーキ屋のロゴが印刷された四角い紙箱や、ぺかぺか光るビニールの手提げの片隅に、
石鹸のような白い塊をみつけると、わたしはとたんに落ち着かなくなる。
見つけるやいなや、「やってもいい?」と母に訊く。
皆でアイスをいただいてからね、と言われて渋々うなずき、
曇り硝子の器に盛られたアイスクリームを大急ぎで頬張って、
そのあまりの冷たさに目を白黒させながら、コップの水で流しこむ。
ごちそうさまと言い放つと、ドライアイスの袋をつかみとり、
呆れる大人たちを尻目にそそくさと風呂場に行って、洗面器にたっぷりと水を張った。

表面に霜をつけたようなドライアイスは、薄荷糖によく似ていた。
半透明で、ほんのり青みがかった白い塊。
それを一気に放りこむと、もくもくと白い煙りが沸き立って、
洗面器の中は一面雲の海になる。
入道雲のように湧き出すそのさまが面白くて、思わず手を突っこもうとすると、
いつのまにか様子を見にきていた母が、背中からすかさず声をかける。
触っちゃだめよ。やけどするから。

本当なら「凍傷になる」というべきところを、母はいつも「やけどする」と言うのだった。
こんなに冷たいものなのに、触ると「火傷」するなんて。
腑に落ちない思いに首を傾げながらも、子どものわたしは、
うごめく雲の上っ面をこわごわ指で突いたり、息を吹きかけて散らしたりしながら、
風呂場のひんやりとしたタイルにしゃがみこみ、ひとりで洗面器をのぞいていた。

小さな借家だったから、茶の間と台所と風呂場は、どれもが隣り合わせになっていた。
いつもは耳にすることのない大人同士のお喋りや笑い声が、
茶の間から途切れることなく聞こえてきていた。
母とふたりの静かな暮らしを、特別に淋しいと思ったことなどなかったが、
それでも人の話し声のする家は、いつにも増して安心できるような気がした。
絶え間なく浮かんでいた小さな泡が、マスカットの粒ほどに大きくなり、
ぷくり、ぷくり、と間(ま)を溜めながら浮かんでは大儀そうに弾け、
やがて小さな白い欠片が、力尽きたかのように浮きあがるそのときまで、
わたしは飽きることなく眺めていた。
風のように流れてくる話し声を、聞くともなく聞きながら、
心おきなく、ひとり遊びを楽しんでいた。


「ご自由に」と言われてもらってきたドライアイスはさすがに小さくて、
コップの中であっという間に溶けていった。
それでもわたしは子どもの時と同じように、わくわくしながら眺めていた。
「やけどするわよ」という母の声を思い出しながら、
真白い雲を指で突き、息を吹きかけながら見守っていた。

泡が途絶え、鎮まった水面に浮かぶドライアイスの欠片は、
よるべなく漂いながら、見る間に豆粒のように小さくなって、ふいに消えた。
並んで見ていた子どものわたしも、溶けるように消えていた。
汗をかいたコップにそっと触れると、しんと冷たかった。
窓から入る風が急に温度をさげたようで、思わず深く息を吸うと、
胸の奥がすうすうした。
半透明の、白い薄荷糖を食べたときみたいに。