煮出した麦茶のやかんに触れて、冷めるまでの時間が早くなった、と思ったその日、
冬がやってきた。
木枯らし一号だという。
まだ紅葉も終えていないのに、首をすくめて歩いていると、景色が冬らしく見えてくる。
そういえばどこの家の庭も、夏の頃より見通しが良い。
葉を落とした木々や、剪定をすませた庭木は、床屋帰りの少年の首筋のように寒々しく、
その隙間だらけの枝の向うに、大小の黄色い実がちらちらと見える。

このあたりの家の庭には、なぜか柑橘類の木が多い。
色の少ない冬景色の中で、濃い緑の葉の間にあかりを灯すかのような黄色い実は、よく目立つ。
ぽってりと大きな夏みかん、思わず手を伸ばしたくなるような蜜柑、柚子、レモン。
この時期、まだ青々とした小さな丸い実は、橘なのか、金柑なのか。
この町に越してきた冬の初め、その木の前を通るたびに、首を傾げた。
垣根からあふれるように繁る枝葉の下で、夫とふたり、小さな丸い実を眺めていた。
橘と金柑って、いったい何がどう違うんだろう。
呟くようなその問いに、少しのあいだ思いを巡らせて、「金柑は食べられる」と答えると、
夫は一瞬絶句したあと、弾けるように笑った。


冬になると、母はいつも金柑を煮た。
狭い台所の小さなテーブルにざるいっぱいの金柑を置き、椅子に腰掛け、
丸い実のひとつひとつに包丁をあて、小さな切れ目を入れていく。
きゅっと軽くつまみ、開いた切れ目に爪楊枝を差しこんで、種を出す。
小さな実の中には、驚くほどたくさんの種がつまっている。
種を取り終えたら、たっぷりの湯に放りこみ、
皮の黄色がわずかに濃くなったところでざるにあけ、再び鍋に戻す。
少しばかりの水を張り、白砂糖をどっさりと入れ、全体が雪をかぶったようになったら、火をつける。
砂糖はすぐ煮溶けてしまい、澄んだ水になって、金色の実をひたひたと覆う。
ことことと弱火で、3,40分。
風邪の予防にもなるし、喉にも良いし、咳止めにもなるし。
母に言わせれば、金柑は風邪の万能薬なのだった。

風邪のひきはじめには、ネギを焼いた。
長ネギの白い部分を焦げ目がつくくらいに網で焼き、重ねたガーゼにくるくると包んで、首に巻く。
喉の腫れを取って熱をさげる、というのだけれど、焼きたてはいかにもネギ臭くて、
巻かれるときには、いつも鼻をつまんでいた。
それでも、芯まで熱くなったネギは、いつまでもじんわりと暖かくて、
寒気に強ばっていたからだが、優しくほどけて心地好かった。

熱が出たときの「おくすり」は、梅干しとすりおろした生姜(しょうが)だった。
湯呑みに入れて、かんかんに湧いた湯を注ぐ。
ふうふうと息を吹きかけながら飲み干すと、すぐさま布団に入れと追い立てられる。
掛け布団をぽんぽんと叩きながら母が言う。
汗をかけば、熱がさがるから。
その言葉にうなずいて目を瞑り、羊を数える間もなく、すとんと眠りに墜ちていく。

ふと目覚めると、ぐっしょりと汗をかいていた。
天井の電灯は消されていたが、布団の足元に光の帯が伸びている。
細く開いた襖を眺めながら、「汗、かいた」とうわごとのように呟くと、すぐに母がやってくる。
布団の上にわたしを立たせ、濡れたパジャマをはぎ取ると、
手早くタオルでからだを拭き、替えのパジャマをさっと広げる。
こたつの中に入れてあったのか、パジャマはやんわりと暖かく、
人形のように腕を伸ばしたり足をあげたりするだけで、いつのまにか着替え終えている。
熱くもなく冷たくもない、ちょうどいい塩梅の湯冷ましを飲むと、
シーツが湿っていないかどうか確かめた母に、大丈夫、さ、寝なさい、と促され、
また布団に潜り込み、蓑虫のように丸まって目を閉じる。
そうやって汗をかいて着替えさせてもらうたび、たしかに熱はひいていった。

あの頃はどこの家にも、母親の作る「かぜ薬」があったのだ。
「風邪は万病の元」という言葉に、今よりずっと重みがあった、あの頃。
子どもが寝込む度に不安に苛まれ、誰よりも心細い思いをしていたのは、
他でもない母親だったのかもしれない。
たとえ医者に診てもらっても、処方された薬を飲ませても、どこか心許なくて、
その心細さを蹴散らすために、寝る間も惜しんで看病をし、
祈るような気持ちで、「おくすり」をこしらていたのだろう。

種を取って煮つめられた金柑は、片えくぼのようにへこんでいた。
それでも、砂糖を含んでつやつやと照り、夕陽のように輝いていた。
口に入れて歯を立てると、薄紙のような皮の中からとろりと汁が滲みだして、
たっぷりと甘くて、ほろ苦かった。


首を傾げて見あげるうちに、小さな丸い実は弾けるような金色になった。
完熟とでもいうようなその様に、やっぱり金柑かもしれない、と思いはじめたある日、
その木の前に老夫婦の姿を見た。
垣根の前に立てた脚立の上で、おじいさんが、ひとつ、ふたつ、と実をもいでいく。
みっつ、よっつ、と採るその下で、おばあさんが、ざるを掲げて待っている。
おじいさんがざるの中へ手を伸ばす度に、おばあさんは微笑みながら何か言う。
独り言のように呟きながら、積まれていく金色の山を、撫でるように平らにならす。

きっと、おばあさんも、金柑を煮たのだろう。
幼い子どものために、仕事に忙しい夫のために、
小さな丸い実をざるいっぱいに摘んでは、たっぷりの砂糖でことことと煮たに違いない。
そして今も、やっぱり金柑を煮るのだろう。
幼い子ども達のことを思い出し、夫に向かって語りながら。
母は、娘とふたりきりの小さな家の台所で、一心に種を取りながら、何を思っていたのだろう。
今もひとりの家の台所で、金柑を煮ることがあるのだろうか。

老夫婦の傍らを、ゆっくりと通り過ぎたあと、やっぱり金柑だったね、と夫が言った。
食べられるからね、と、からかうようなそのまなざしに、思わず言い返す。
八百屋さんに金柑があったら、買って帰ろう。
呆れて笑いだす夫につられて、つい吹きだすと、鼻の奥がつんとした。
喉の奥に甘苦い塊がこみあげてきて、慌てて足を早める。
肩を並べ、木枯らしに向かって歩きながら、金柑を煮よう、と思う。
種を取り、砂糖を山のように入れて、ことこと煮るのだ。
夫とふたりで。
道端に積もる落葉が、かさかさと音を立てて笑っている。