冬の日の昼下がり。駅のコンコースを歩いていると、女の子が泣いていた。
小学校にあがるかあがらないかというくらいの年頃だろうか。母親に手を引かれ、もつれるよう
に歩きながらも、ぐずぐずと泣きべそをかいている。その泣き声の合間にも、母親の顔を見あげ
ては何かを訴えているのだけれど、何を言っているのかは聞き取れない。はっきりとした理由が
あって泣いているというよりは、自分でもよく分からないままに、ただ「ぐずって」いる、
そんな泣き方だった。

どこか疲れた表情の母親は、諫めるでもなく、なだめるでもなく、ただ前を向いて歩いていた。
が、女の子がひときわ大きな泣き声をあげると、母親はふいに歩みを止めて、繋いでいた手を
そっと離した。提げていたバッグから小さな箱を取り出し、ほんの少し笑みを浮かべながら、
彼女に向かって早口で言ったのだった。「アメ、あげるから」
つやつやとしたピンク色の紙に包まれた、そのアメを見たとたん、女の子はぴたりと泣きやみ、
みるみる晴れやかな顔になっていった。そしてそれを小さな手に握りしめたまま、
母親の早い歩調に合わせて、駆けるように行ってしまった。

その光景を見るともなく眺めていたわたしと夫は、思わず顔を見合わせて笑ってしまった。
あまりの現金さに呆れながらも、その真正直さが微笑ましくもあった。同時にあの女の子の気持
に覚えがあるような気もしていた。
と、そのとき、夫が言ったのだ。笑いながらも、どこか感心するかのように。
「子どもって、あめ玉ひとつで、しあわせになれるんだね」
あめ玉ひとつで。
そう。確かにそうだ。そういうときが、誰にだってあったのだ。


小学校にあがるまで、わたしは毎月のように医者にかかっていた。ひとたび風邪をひくと長患い
になることが多かったので、用心に用心を重ねても足りないくらいだと思っていたのだろう。
ほんの少し鼻がぐずぐずしたり、喉がいがらっぽくて、こほんと咳をしただけでも、母はわたし
を「お医者さん」に連れて行った。丸いお腹の大きな熊みたいな医者は、からだに似合わず秘や
かな声で喋る穏やかな人だった。高熱を出して寝込めば、すぐに往診に来てくれるその先生が、
わたしは好きだった。子どもながらに自分が病弱であることも、それを案じる母の気持も知って
いたから、ちょっとのことで「お医者さんに行こう」と言われても、わたしは嫌がることもなく、
いつも黙って頷いていた。

が、ある秋晴れの日の午後、わたしは珍しく「行きたくない」と駄々をこねた。その日に限って、
」なぜか「お医者さんに行く」のが嫌だった。もしかすると、熱があがりはじめていて気分が
悪かったのかもしれない。あるいは唾を飲みこむのも辛いほどに扁桃腺が腫れていたのか。
でも幼いわたしには、そんな理由など関係なかっった。ただただ何もかもが億劫で、何もかもが
気に入らなかった。訳もなく、淋しくて、哀しかったのだ。

母に手をひかれながらも歩みは遅く、ようやく庭木に囲まれた医院の青い屋根が見えたときには、
もうほとんどべそをかいていた。先に立った母が、磨りガラスをはめ込んだ扉をぎいっと引くと、
とたんに消毒薬の匂いに包まれて、わたしは思わず足を止めた。それでも母に背中を押されると、
さして抵抗もせずに玄関に入り、のろのろと自分で靴を脱いだ。コンクリートの三和土に涙が
ぽろぽろとこぼれ落ちて、雨粒のようなしみを作っていった。ピアノの鍵盤のように並べられた
スリッパの、緑色の小さなそれに足を入れながら、本当は大人用の青色のほうが好きなのに、と
胸のどこかで思っていた。スリッパの中はひんやりと湿っていて、そのことまでがなんだかやけ
に哀しくて、俯いたまま緑色の爪先に弾ける涙を見つめていた。

母に涙をふいてもらいながら待合室のソファーに腰掛けていると、廊下の奥から看護婦さんが
やってきて、わたしの顔を覗きこんだ。あらあら、かわいそうに、気分が悪いのね。ころころと
した丸顔のその人は先生の奥さんで、いつも医院と母屋を忙しなく往き来しているのだった。
もうすぐだから、我慢してね。看護婦さんはそう言いながら、そっとわたしの額に手をあてた。
ふっくらとした暖かな手だった。いつまでも触れていてほしいような気がして、そのときだけ
泣くのをこらえた。こらえてみると涙は潮のように引きはじめ、わたしは喉の奥の熱い塊を飲み
くだし、いつものように大人しく診察室に入ったのだった。

お薬をだしておくからちゃんと飲むんだよ。聴診器を外して言う先生に向かって頷いて、
丸椅子から立ち上がる。有難うございました、と言う母の真似をして頭をさげ、小さな声で
さようなら、と言う。と、その言葉が合図だったかのように、診察室のドアがかちゃりと開いた。驚いて振り向くと、看護婦さんがにっこり笑いながら立っていた。
えらかったね。泣くのを我慢できたものね。
そう言って看護婦さんは、白衣の大きなポケットから四角い缶を取りだした。缶の表には色とり
どりのドロップの絵が描かれていて、上には丸い蓋がはまっていた。
何色がいい? と聞きながら、看護婦さんはその蓋を丸っこい指でぱかりと外した。
が、わたしは何も答えられなかった。ただ驚いて、ぽかんと突っ立っているだけだった。
看護婦さんは笑いながら、じゃかじゃかと缶を振って、おもむろに言った。
じゃあ、一番美味しいのをあげるからね。

缶の丸い口からころんと出てきたのは、黄色いドロップだった。レモン味は好き? 屈みこんで
訊く看護婦さんに、小さな声で「好き」と答えた。ありがとうでしょ、と母に囁かれ、慌てて
「ありがとう」と、今度は大きな声で言った。
いつのまにか涙はすっかり乾いていて、母が窓口で会計を済ませ薬をもらっているあいだも、
わたしは手の中のドロップを眺めていた。スリッパを脱いで靴を履き、玄関を出て扉を閉めても、
まだドロップを握っていた。手を繋ごうとした母が驚いて、まだ持ってたの? とおかしそうに
笑った。手がベタベタになるから食べちゃいなさい。そう言われて、ようやくわたしはそれを
口に入れた。甘酸っぱい香りが鼻の奥に広がって、訳もなく笑みが溢れてきた。
枯れ葉の匂いのする風が吹き抜けていっても、もう淋しくはなかった。風邪のせいで、妙に
足もとがふわふわとしていたけれど、哀しくはなかった。
家に着くまでのあいだに、ドロップは熱っぽい口の中でゆっくりと溶けていった。


本当は、白い薄荷のドロップが一番好きだった。
でも、あのときは、たぶん何でもよかったのだ。赤でも緑でも、オレンジ味でもグレープ味でも。
ぐっと涙をこらえたのを、誰かがちゃんと見ていてくれた。そのことをきちんと認めてもらえた。
その証しが、あのドロップだった。だからあの缶からこぼれ出たものが何色であっても、それは
特別なものだった。自分だけのために用意された、特別なひと粒。
ひと粒のアメで泣きやんだあの女の子も、きっと同じようなものだったはずだ。
母親が足を止めて自分を見てくれたこと。自分のためにあめ玉を差しだしてくれたこと。
それだけでほっと安堵して、歩きだすことができたのだ。

ひと粒のあめ玉でしあわせになれたのは、いったい、いつの頃までだったのか。
大人になるにつれ、人はあめ玉だけではしあわせになれないと思うようになっていく。
でも。本当にそうだろうか。
もしかすると、大人にだって、幸福のあめ玉はあるのかもしれない。
差しだされたあめ玉を、それとは気づかずにいるだけで。