初めて嗅ぐ匂いだった。インターネット出版社からオンデマンドで製本された紙の本。染み込んだインクの匂いではなくて、紙の上でまだぴちぴち跳ねている銀色のうろこのような匂い。私は本を買うと必ず、読む前に匂いを嗅ぐ癖がある。左手で背表紙をかかえ、右手の人差し指、中指薬指、小指総出で表紙を支え、親指に少し力を込め本を軽く湾曲させる。そうして親指をずらしていく。裏表紙から表紙へ。何度かぱらぱらとやっていると、本がほぐれ風が吹き始める。風に鼻をぐんと近づけて、匂いを嗅ぐのだ。
今まで嗅いだことのない匂いだった。装丁のエゴン・シーレの人形が無機質に横たわっていた。


「家鳴り」
麻子は古い家に住んでいる。そこで暮らす家族の気持ちは、互いに少しずつズレている。父と母。姉と麻子。父と娘達。中でも際立っていたのは、祖母と母。「母を前にする時、祖母の眉間には、いつも深い縦皺が2本、くっきりと刻まれていた」が、「家に関することは、母任せだった」。父にも祖母にも、面と向かって逆らうことのない母は、執拗なほどに古い家を磨き上げていた。父が亡くなり、母が倒れ、今またこの古い家を守っているのは、麻子。結婚して一層浮き足立つ姉が、7歳の息子をつれて遊びに来るのだが、麻子にとって快いことでははない。だが、そんなことはもうどうだっていいのだ。麻子には、確信に満ちた自信があるのだ。それは・・・。

家族のちぐはぐさを、冒頭で、飼い犬のグイになぞらえた。グイはある時、噛むという事を覚えてしまう。人も物にも激しく噛みつく。グイの名付け親が父だったという最初のくだりは印象的で、父が亡くなった後も、グイが最後まで登場し、小説の底を流れるひとつのテーマだったのでは、と思った。麻子と母との関係、姉と祖母との関係も、巧みな鮮やかなエピソードで繋がっていく。ミメイワールドのなせる技である。

家族の様相が大きく変わりつつある、いま。古い家は、管理の難儀さと生活の不便さゆえに、解体されていく。真っ新なマンション、小綺麗な住宅、隙間風も吹かない閉じられた空間で、夏はクーラー冬はファンをまわし、こぞってパソコンやゲームに向かう。父は居るのだろうか?母はどこに行ったのだろう?そして、子供達はどこへいくのだろう。いつの時代も、自分の子供のころとまったく同じような子育てはできない。が、それにしても急速である。そのせいか、私の体が時々、軋む。重ねた年のせいかとも思ったが、こういう感じは子供のころからあったような気がする。

寝込んだ母の息づかいのように、家が鳴る。古くからのものたちの、悲鳴に似て。しかし、新しい家も呻くことがあるのではないか。深夜、ひとりで息を潜めていると、どこかで、みしりみしりと音が聞こえてくるのである。


稚イ夏(一)
 五行ほどのささやかな文章が、つづられている。「午睡」と題されたこのページは、夏の蜃気楼が立ち上っていて、足元をすくわれたような、夢とも現(うつつ)ともつかない空間に放り出されたような、心もとないけれどなんだかとても心地よい場所を、読者に与えてくれている。大人になってからも、時ならぬ時に眠りこけてしまい、目を覚ましたら、そのような場所に立っていると感じることがある。夏という季節に誘われて。

 ミメイさんの小説は、実に、季節を上手に運んでくる。初夏、真夏、秋の入り。季節は巡る。そして、繰り返す。 

「ニンギョヒメ」
「オリヒメ」
ニンギョヒメとオリヒメという作品が連ねられている。どちらも、満たされることのない愛に向かっている女性のお話。ニンギョヒメでは、その愛のゆくへはまだ不確かで、海の底で揺れている。
「わたし」は祥子さんという女性に惹かれているのか。「わたし」が思いを寄せているシンが、惹かれていったように。ニンギョヒメを媒介にして、「わたし」と祥子さんが語り合う場面は、海の底のように深い。なぜ、ニンギョヒメ?それは読んでのお楽しみ。

オリヒメに登場する章吾は、縁談の決まったひとりの男性。彼が、ある朝、一枚の葉書を手にしたことから、この物語は始まる。何かきっかけがないと、思い出すこともないという記憶がある。自分という体から、すっかり抜け出てしまっていた記憶が、次第に蘇っていく。小夜子という女性が書いたであろう一枚の葉書によって。そして、それは確信を帯び、章吾の現実を脅かすのである。「いそまくらの日を みなで楽しみにしています」。この一文に吸い込まれるようにして、抜け落ちた記憶をさぐろうとしたのは、私だけではないはずだ。


稚イ夏(二)
 「蝉の抜け殻」。抜け殻というのは、ほんとうに、見事なものである。だが、よく見ると、そこに触覚が残されていたり、足が挟まっていたりする。うまくいかなければ、わたしごと抜け殻になる。昆虫も人間も、オトナになるというのは、容易いことではなさそうだ。まだ完全に治りきらない傷のかさぶたを、どうしても剥がしたくなることがある。 

「溺レルアナタ」
行き場を探していた愛が、ここで完結する。「溺レルアナタ」。鈴という名の主人公のもとに通ってくる来生(きすぎ)という男性。家庭のある男性である。女と男の究極の愛の姿を、流れ出すような描写と共に描いている。文中に出てくる歌は、実存のカシュ・クミコが歌っている曲らしい。彼女の曲にインスパイアされたとあとがきにある。歌も小説も作りものだが、そこに魂がないと、人の心には届かない。と思っている。


ミメイさんの小説が、ミメイさんの手を離れ、私のもとに届いた。ミメイさんの風が吹き、ミメイさんの香りに包まれた。隅から隅まで目を通したあと、本を閉じると、やけに人形がなまめかしい。読む前よりも、はっきりとした色が、表紙に映し出されている。実際は、変わり様もないのだとわかってはいても、視覚から私の脳にたどり着くまでに何か異変が起こったに違いない。人間という不思議な感覚を、思う。

紙の上で、ぴちぴち跳ねていたうろこが、しんなりと紙に収まっていく。10年いや、20年も経てば、なじまなかったこの本の香りが、私の記憶を塗り替えるだろう。時代を超えた古い、そしてもっとも新しかった、書籍という原書の匂いへと。そのころには、すでに夢を叶え終えたミメイさんが、紙に穴を開ける勢いで、また新しい海を泳いでいく姿を、見たいと願っているのです。 


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