otonamo.jpg



胸の中で、なんとはなしに「ああ、可笑しかった」と呟いて、
ふと気づいて、「何が?」と首をひねった。
お笑い番組を見ていたわけでもない。
宴会で大騒ぎをしていたわけでもない。
今の今まで、ただ本を読んでいただけだ。

別に大笑いするような本ではないのだ。
それなのに、涙を流して笑ったあとのような余韻が、喉の奥に残っている。
涙を流して……?
そう、それは思い切り泣いたあとの、どこか心地良い虚脱感にも似ている。
いったい、これは何なのだろう。

その本は、「アカシア からたち 麦畑」というエッセイ集だった。
著者は、佐野洋子。
画家でモノカキ、そして元・谷川俊太郎夫人。

子どもだった著者が見ていた風景が、場面が、記憶が、
短いエッセイとなって連なっていく。
大連にいた頃、隣の家に住んでいた美しい少女のこと。
日本に「引き上げ」てきてから暮らした小さな村のこと。
がりがりに痩せていて、ゴボウのように色が黒くて、
『ちったあ。愛きょうよくしたらどうだ』と言われつづけていた女の子。
そんな子どもが、オトナになっていくまでの、いくつかの景色を、
著者は俯瞰するように書き綴っている。
オトナの佐野洋子が、子どもだった自分を見つめて書いているのに、
確かに、一歩退いて眺めているのに、そこにはなぜか隔たりがない。
子どもにかえって書いているのでもなく、
オトナとして訳知り顔で書いているのでもないのだ。
だからなのか、その世界は、妙に生々しい。

たとえば、「百日草」というエッセイ。
真夏の午後、妹が生まれる日。
締め切った座敷にいる母親の「異様な声」を聞きながら、
父親は、板の間のたらいの前で膝を抱えて座り、
10歳の「私」は、その声に耐えかねて、家の前の川っぷちに逃げていく。
1年前、弟が死んだ時に父親が植えた百日草を1本丸裸にむしりながら、
彼女は思う。
『しかし、生まれる瞬間をたしかめたかったので、たらいの前にもいたかった。
 それに「生まれたら、すいかを割る」と父が言っていたので、
 すいかのそばにもいたかった』
仕方なく家に戻り耳をふさいでいると、ついに赤ん坊の泣き声がした。
『母は赤ん坊が生まれたとたん、ごく普通の声で、お産婆さんと話をしていた。
 私は、なんだか、だまされたような気がした』
父親は生まれてくる子どもを「男の子」だと信じていたのに、
赤ん坊は小さな女の子だった。
『父はすいかを大きなまな板の上で割った。
 私は桃太郎のおばあさんになった気がした』

佐野洋子は、易しいコトバで、ヒトリ語りをするように書き綴っている。
それを目で追っている間中、そのコトバひとつひとつが、
ぽろぽろとカラダの中に落ちてくる。
読んでいる自分にも同じ経験があったかのようなキモチになって、
笑ったり泣いたり、切なく哀しかったり、怒りに震えたりしてしまう。

どうしてこんなに親密な感じがするのだろう。
著者と重なる経験などあるはずもないのに、どれもが覚えがあるようで、
ひどく痛みを感じたり、甘痒くうずいたりしてしまうのだ。

本の最後に、後書きのようにして、長い文章が載っている。
それを読んだとき、初めてわたしは、ああ、そうか、と頷いた。

著者の息子「げんちゃん」が5歳の頃。
げんちゃんのことが好きな「かずみちゃん」という女の子がいた。
だが、息子は「まどかちゃん」が好きで、
まどかちゃんは皆のアイドルで、だから誰も好きではなかった。
『ある日かずみちゃんが、私に言った。
 「わたし、げんちゃんが好きなんだけど、げんちゃん、ちがうみたい、でもいいの」
 私は何も言わなかったけれど、かずみちゃんの肩をゆすぶって、
 長い女の人生を一緒に歩いていきたいと思った。
 大人も子供もあるもんか。』

佐野洋子は、子供の自分も、大人の自分も、たいして変りはないと思っているのだ。
まだ拙く、幼くとも、生と死を携えながら生きていることに変りはない。
何十年もかかって我が身を励ましながら生きてきたけれど、
今の自分は、すべて、あの頃の自分と繋がっているのだ。
そして、この先もずっと繋がっていくのだ、と。

読んでいるオトナのわたしも、幼い子どもだった自分と繋がっている。
だからこそ、こんなに易しく、さりげなく書かれたエッセイが、
こんなにカラダを揺さぶるのだろう。

今もまだ、甘苦い余韻が、喉の奥に残っている。
カラダの芯に沁みている。
そういえば、大笑いしたあとの虚脱感と、
大泣きしたあとの空虚さは、よく似ている。
そして。
子どもの頃、母親に叱られながらも、
唇が青くなるまでプールに浸かっていたあの夏の日の夕暮れの
心地よいけだるさにも、よく似ている。

涙も笑いも、あの夏の日から、ずっと続いていたのだ。
「生きている」ということに、
オトナもコドモもあるもんか。