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家。
それも、古い家。
できれば、昔ながらの日本家屋。
あるいは、明治、大正時代の洋館か。
そんな「建物」が好きである。

あてのない散歩をしているとき、
見知らぬ町を旅するとき、
そんな建物を目にすると、
ついふらふらと引き寄せられる。
それが普通の民家だったりすると、
門から首をつっこんで、
すり減った敷石や、
磨り硝子の玄関や、
すすけた窓枠や縁側を、
しげしげと眺めずにはいられない。
きっちりと門がしまっているときには、
生け垣の透き間に顔をつけ、
中をのぞいてみたりする。


山里の寂れた旅館などもいい。
今にも朽ち落ちそうな、しもた屋も。

古い家並みの残る下町に行ったときには、
古井戸の脇の石段をのぼったところに、
古い二階屋のアパートがあった。
アパートといっても、木造である。
いつの時代からあるものなのか、
朽ちていく土台の軋みが聞こえそうな家である。
長屋のようなその建物の、
一番端の家の前には、
錆びついた赤い三輪車が転がっていた。
僅かにあいた歪んだ玄関の引き戸の奥は、
濃い闇に塗りつぶされていて、何も見えない。
その戸に向かって、
ふらふらと歩き出そうとするあたしを、
ミメオが止めた。
行っちゃだめだ、と。

たしかに、何かの気配がした。
朽ちていく家の、
あるいは淀んだ時の、
生から離れた者たちの、
気配。


この町のはずれにある自然公園には、
古い民家が残されている。
開放された家の中を、静かな風が通っていく。
ここは、気持ちのいい家だ。
雨風を染みこませた、木。
みっしりと堅固な、しかし柔らかな茅葺きの屋根。
土間に設えられた手水鉢(ちょうずばち)も、
すべて木でできている。

障子を開け放しても、家の中はしんと暗い。
座敷には薄い闇が降りている。
庭はがらんと素っ気ない。
が、その低い生け垣の向う、
公園の敷地には、梅の木が幾本も植えられている。
裏庭にまわり、
薄暗い家越しに、表の庭を望む。
と、
光りの額縁に、満開の梅。

木の家には、
くっきりとした光りと影が棲んでいる。
射しこむ光りは、影を際だたせ、
影は、光りなしに生きられない。

古い家に惹かれるのは、
その光りと影のせいだ。

実は、この家の裏庭にも、
立派な井戸があるのだが、
ミメオはそこにも近づかない。
建物のほうは平気だが、
重い木の蓋をかぶせた古井戸には、
やはり何かの気配がある、と。

気配は、ある。

それでも、そこを通るたび、
あの蓋をはずし、
闇をたたえた深い井戸を、
のぞいてみたいという誘惑に
かられてしまうのはなぜだろう。

底知れぬ闇に、射す光を見てみたい。
淀んだ時のかなたに涌く水が、
光りに輝くさまを見てみたい。


春になると、
井戸の裏には、椿が咲く。
赤ん坊の頭ほどに大きい、
真っ赤な椿が、
いくつもいくつも
春の風に揺れるのである。


光りと影と、
滴るような紅い椿。


今年も、
もうすぐ。