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読売新聞の朝刊に「子どもの心」という欄がある。
何人かの小学校の先生が交代で書いているようだが、記事に筆者の名前は
ない。記事の最後に(田)とか(西)というように一文字記されているだ
けだ。書かれていることは実際に学校で起こった事ばかりなので、学校名
を特定できないようにという配慮から、教師の名を伏せてあるのだろう。
 筆者にもよるのだが、学校という名の社会を、リアルに切りとったよう
なものが多い。現場ならではの、喜びや切なさがそこにはある。
 今月初めの記事には、『靴を隠した君へ』というタイトルがついていた。


 ある日、ひとりの生徒が「靴が頻繁に隠されるようになった」と訴えに
くる。だが、先生は、「靴箱の近くに放置してあった」靴を見て、「ちょ
っとしたいたずら」だろうと考えていた。しかし、事はそれでお終いには
ならなかった。

 靴隠しは繰り返された。しかもその度に隠し場所が複雑になっていく。
溝に押し込まれていたり、土をかけられていたり。先生は、クラスの生徒
たちにそのことを告げる。たが、それでも靴隠しはなくならない。
 ついに靴は池に投げ捨てられ、それを機に教師が校内を見回るようにな
る。その間、生徒の靴は、袋に入れて教室に持ち込むことにしていたとい
う。
 2週間が過ぎ、もういいだろうと靴箱に靴を入れさせた。そのとたんに、
また靴隠しが行われたのだった。

 靴を隠した生徒は、よほどその生徒に対して思うところがあったのだろ
うか。もしかすると先生達がその生徒の味方をすることが面白くないのか
もしれない。いや、やり始めたが最後、歯止めのきかなくなるような、半
ば意地のような幼心からということもありえるのではないか。いずれにし
ても、隠した生徒を探し出さないことには、問題は解決しないだろう。し
かし、どうやって。思い悩む先生のため息が聞こえてくるような気がした。

 だが、先生の取った手段は、なんとも意外なものだった。
 先生は、手紙を書いたのである。
 「靴を隠した君」に向けて。


              ***

 
   靴を隠す君へ
  
   こんにちは。今日も、また君は誰もいない靴箱で靴を見つけ、
  手に取りどこかに持ち去った。
   その時、君はどんな顔をしていたのだろう。笑顔のわけがない。
   今度また靴を隠すなら、近くにある鏡を見てからにしてください。
   こそこそと人の靴を隠して喜んでいる人の顔をじっくり見てから
  にしてください。
   靴を隠した君が誰なのか最後までわからないかもしれない。そし
  ていつのまにか、靴隠し事件のことを、隠された友だちの悲しみを、
  みんな忘れていくだろう。
   でも君はいつまでも忘れてはいけない。靴隠しは君がしたことな
  のだから。絶対に忘れてはいけない。


               ***

 この手紙を、先生は生徒達の前で読み上げ、そのコピーをひとりひとり
に「目を見ながら渡した」のだそうだ。

 靴隠しは、二度と行われなかった。


 紙面に載ったこの手紙を読んだとき、言葉の持つ力に震えてしまった。
 紙に綴った言葉の力に。
 もし先生が、教室で、生徒全員に向かって、これと同じ内容を「喋った」
としたらどうだろう。もちろん、それでも、この先生の強い想いは「彼」
に届き、靴隠しはなくなったかもしれない。だが、その時発せられた言葉
は、この手紙ほど強く胸に残っただろうか。「君」には届いたとしても、
他の生徒たちは、すぐにこのことを忘れてしまうかもしれない。
 だが、手紙として配られた、紙の上の言葉は、きっと生徒ひとりひとり
の胸に深くしまわれたことだろう。彼らが大人になったとき、この手紙に
綴られた言葉を、ふいに思い出すこともあるだろう。

 この手紙はたったひとりの「君」に向けた言葉のようでありながら、実
は手渡す生徒全員に向けて書かれているのではないだろうか。
 おそらく先生は、生徒全員の顔を思い浮かべながら、書いていた。
 そのひとりひとりの胸に届くようにと願いながら。
 祈るようにして。

 その熱い想いと、強い願いがあったからこそ、
 言葉は力を持ったのだ。


 生半可な気持ちでは、言葉の神様がそっぽを向く。
 言葉が力を持つこともない。
 言葉を綴るということは、
 どこか祈りに似ている。
  



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 *2月2日 読売新聞朝刊「子どもの心」より引用

◆「子どもの心」は、こちら↓でも読むことができます。
  http://www.yomiuri.co.jp/education21/index.htm

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新聞の記事なので、長い引用はどうかと思いましたが、
この手紙だけは、どうしても載せたくて、
手紙文の全文を引用させていただきました。