朝、鏡をのぞいたら、目の中に薔薇が咲いていた。
真っ赤な薔薇が。
左目の瞳の斜め下あたり。白目のところに、直径5mmほどの赤い沁み。
モウサイケッカンが切れたらしい。
子どものころ、祖母の目にも時々赤い薔薇が咲いていた。
それは、ほんとうに真っ赤な薔薇だった。
濁りのない血の色。
見るのが怖いのに、引き寄せられるように見つめては、
「痛くないの?」と何度も訊いた。
アーモンド型の美しい目を細めて微笑みながら、祖母は言った。
痛くなんかないのよ。モウサイケッカンが切れただけだから。
モウサイケッカンが毛細血管だと分かったのは、ずっとずっと後のことだ。
年を取ると、血管も弱くなるんでしょう。そう言って、祖母は笑っていた。
目の中の真っ赤な薔薇が、細めたまぶたの下にすっと隠れ、
あたしはその薔薇の行方が気になって、何度も祖母の顔を覗きこんでは、
ふいに表れるその鮮やかな赤に、はっとして目を伏せるのだった。
祖母は美しい人だった。
決して派手ではないのに、一輪挿しの花のように人の心を惹きつける女だった。
祖母が若き日に嫁いだ先は、徳川という姓を背負った家だった。
めでたく男の子を授かり、大勢の使用人と縁者に囲まれて、
嫁としての責任を果たしながらも、豊かな暮しの中にいた祖母。
だが、時代の変化はそのまま彼女の人生の変化だった。
家屋敷を国に取りあげられ、残った財産を少しずつ切り売りしてはやりくりする毎日。
それでも長男が社会人になり、そこへ私の母が嫁いだ時はまだ、
それなりの生活はしていたらしい。
と言うより、内情は火の車でも、それまでの生活を捨てることなど
誰ひとりとして考えもしなかったのだろう。
そんな張り子のような暮しがいつまでも続くわけもなく、
やがては、わずかに残っていたささやかな屋敷まで手放すことになる。
移り住んだのは、まだ野原や畑の残る杉並のはずれに建つ小さな家だった。
合板の薄いドアをあけると、六畳二間があるだけのリンゴ箱のような借家だった。
実際、東京体育館がすべて収まるほどの敷地に暮らしていた祖母達の目には、
その木造の四角い平屋はリンゴ箱のように映っていたのではないだろうか。
時代の濁流にのまれてすっかり老いてしまった夫と、
何が起こったのかよく理解できぬままの長男、
そしてその嫁と生まれて間もない孫である私と共に、
祖母のつましい第二の人生がはじまった。
それでも彼女は、それまでと同じように明るかった。
生活は変わってもその表情に影が射すこともなく、きちんと身だしなみを整え、
鈴を転がすような声でころころと笑いながら、孫であるわたしを幸せそうに抱いていたという。
ところが、ある日突然、祖母は家出をしてしまう。
行き先はすぐに家族の知れるところとなったが、それでも祖母は帰ろうとしなかった。
いったい何があったのか。何を思ってのことだったのか。
まだ乳飲み子だった私には、その時の記憶もなければ、その理由などしるよしもない。
だが、のちに聞いた話しによると、
その時祖母はとある男性の家で共に暮らしていたのだった。
嫁いだ日から、家事をするよりも客人の接待を仕事とし、大勢の姑小姑に囲まれて、
妻としての、そして嫁としての役割を十分にこなしてきた祖母。
家事をまかなう者や家を維持する職人、
そして夫の側女までが同じ敷地内の家に住むという特異な環境であったにも関わらず、
控えめでいながらも社交にたけていた彼女は、
誰の目から見ても、水を得た魚のようにいつもいきいきと幸せそうに見えたはずだ。
だが、ほんとうに祖母は幸せだったのか。
人知れず、泣いたことはなかったのだろうか。
誰にも見せぬ心の底には、こまかな澱が沈んでいたのではないだろうか。
なだれ落ちていく人生のさなかに、祖母の胸の中にひそかに沈んでいた澱が、
うずを巻いて湧きあがり、出口を求めていたとしても、何ら不思議はないような気がする。
家屋敷をなくすと共に、その家の名からも解き放たれたと感じた祖母は、
ひとりの女としての自由を手に入れようとしたのではないだろうか。
祖母が家を離れたことが合図であったかのように、
残された家族にも、少しずつ亀裂が入っていく。
栄華をきわめた頃からの知人のつてで、かろうじて職に就いた私の父が、
しだいに家に帰ってこなくなるのだ。
誰ひとりとして仕事に就く者がない―仕事などしなくても暮しが保証されている―という
家庭で育った父は、社会に出ても「家族を養う」ということの意味が
分からなかったのかもしれない。
給料は、すべて自分のために使ってしまう。
そればかりか、空になった財布には、誰かが又入れてくれるだろうと、
無い袖まで振ってしまうのだ。
借金と女という奈落への近道を一直線に進む父。
幼いわたしと、仕事のない祖父を抱えて、母はさぞ途方にくれたことだろう。
だがやがて、母は職を得て、働きに出るようになる。
残された祖父は、赤ん坊の私を背中にくくり、
まだ野原の広がる家の周りを日がな一日歩いていたという。
誰もが哀しみを抱きながら、それでも毎日は過ぎていく。
どうにか日々をやり過ごせるようになっていくのだった。
だが、ものごとというものは、一度綻(ほころ)びはじめると、
まるで裾をかがった糸がほつれる時のように、次から次へと加速をつけるばかりで、
容易には止められないものらしい。
今度は、祖父が病に倒れてしまう。
わずかなあいだ床に就いたのち呆気なく逝ってしまった祖父を、
母は自分の実家から野辺に送ることになる。
と、唐突に、祖母が家に戻ってきた。
その祖母と入れ替わるかのように父が家を出ることになり、
祖母と母と私の三人の生活がはじまるのだった。
その数年後、母と私はふたりで世田谷の小さな借家に移り住み、
祖母はひとり小田原で暮らす事になるのだが、
私たち三人の縁は、不思議と切れることはなかった。
母は、祖母が私を可愛がっていたからだと言うが、
姑らしからぬ自由で気ままな祖母と、生真面目でいながらどこかのんびりした母は、
お互いがお互いを好きだったのだと思う。
縁があって嫁ぐというけれど、母が本当に縁があったのは、
父とではなく祖母とだったのではないだろうか。
その後も祖母は、つましいながらも心豊かに暮らしていた。
「生活が苦しくても、食費をきりつめて高い舶来の白粉やクリームを買ってしまうのよ」
母は時々呆れたように言っていた。
そんな母の気持ちを知ってか知らぬか、
祖母は自分の気に入った口紅やアクセサリーをせっせと母に持ってきては、
「もっとおしゃれすれば良いのに、ねえ」と私に同意を求めるのだった。
その横で困ったように笑っている母を見て、私はいつもおかしくてしょうがなかった。
のびやかにころころと笑う祖母は、多くの人に愛されていた。
後家になった祖母を慕う男性が何人もいたと聞く。
だが、彼女はいつ会っても、変わらずに彼女なのだった。
女として生きることを決して忘れず、それでいて、押し寄せる波に呑まれる事もなく、
気品を忘れず、誇り高く、優雅に愛らしく微笑みながら、人生の大海原を揺蕩うていた。
私が中学に上がる頃、祖母は再婚した。
豊かに暮らしていた頃からの知人が奥様を亡くされて、その後妻に入ったのだった。
私にとっては血のつながらない新しい祖父となり、
母にいたっては、もはや何と呼んだらいいのかわからない間柄だが、
それでも私たちは、穏やかで知的な紳士である彼と祖母の新しい家庭にも遊びに行くようになる。
東京の郊外に建つ古いその家が、私は好きだった。
板を横に組んだ古くてどっしりとした二階屋には、いつも光と影が静かに横たわっていた。
祖父と祖母、ふたりだけのひっそりとした家に、私はよく泊まりに行った。
夏休みに、ひとりで何日も泊まり込んだことさえある。
近所に遊び相手になるような子どもがいるわけでもなく、
特別な何かをねだろうと企んでいたわけでもない。
私は、ただその家が好きだったのだ。
そして祖母の近くにいられることが嬉しかった。
昔は女中部屋だったという北向きの三畳間で、祖母の作った押し花を眺めたり、
なぜか台所の片隅に置かれた本棚の、紙魚(しみ)の浮いた古い本をめくってみたり。
二階の客間のひんやりとした畳にぺたりと座り、窓の桟に頬杖をつきながら、
庭で花いじりをする祖母の背中を、ぼうっと眺めていたこともある。
小柄な祖母の小さな肩。薄い背中。
柔らかなワンピースに透ける陽射し、草の匂い。
祖父から、祖母が危篤だという報せを受けたとき、私はもう三十になっていた。
ちょうど人生の岐路に立っていた私は、自分の往く道を考えながら、
祖母の決して平坦ではなかった人生に想いを馳せ、
一度ゆっくりと彼女の話しを聞いてみたい、そう思い始めた矢先の事だった。
病院で母と私は言葉もなく、ただ祖母の寝顔をみつめていた。
なぜか取り乱して祖母に話しかけたり手を握ったりする事もなく、
静かにベッドの横に立っているだけだった。
今は小康状態を保っているから、二、三日は急変する事もないだろうと言う医師の話に、
私達は病院を後にした。
車が時折猛スピードで走り抜けていく広い国道の端をゆっくりと歩きながら、
「綺麗な顔だったね」と、母がひとりごとのように言った。
「本当にね。肌なんて真っ白で、しみも皺もなかった」
人生の終幕を迎えてもなお、祖母の顔には翳りがなかった。
薄くて小さな唇さえも、艶やかに赤かった。
彼女の生き方にふさわしい、美しい寝顔だった。
「やっぱり舶来のクリームのおかげかな」
母と私は同時に呟いて吹き出し、駅に着くまで笑い続けた。
祖母が、私達と並んで歩きながら一緒に笑っているような気がしていた。
その三日後、祖母は深く安らかな眠りにおちた。
美しい祖母は、いくつになっても女だった。
だからこそ、瞳の中に時折浮かぶあの血の赤さが怖かった。
怖いのに目が離せなかった。
妙に生々しく、なまめかしい赤い薔薇は、あたしを惹きつけてやまなかった。
鏡に映った私の目の中に、小さな赤い薔薇が咲いている。
ささやかな、薔薇の花。
女はいつまで女なのか。
祖母のように、死ぬまで美しい花でいられるものなのか。
疲れて窪んだ目の、妙に蒼白い白目の隅に、
鮮やかな血の色をした、
赤い薔薇が咲いている。
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これは「とるにたりないこと」にある「薔薇が咲いている」が元となっています。
元々祖母のことはずっと書きたかったことだったので。
タイトルに「草稿」とつけたのは、
これを元に長いエッセイにするか、あるいは小説にしようと思っているから。
実際の祖母の人生は、もっと波瀾万丈なものでした。
ですが、そのエピソードは謎と笑いに満ちています。
没落はしたものの、良い意味での「華族」の気品と誇りをなくさず、
たおやかでありながらしたたかで、でも憎めない美しいオンナの人生。
いつか、どこかで、また別のカタチでお送りできるよう、
ぽつぽつとしたためていくつもりです。