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鮮やかに滴るようなレモン色の表紙を開き、頁を捲って
驚いていた。
「レモンの近親相姦/レモン・インセスト」
見開きに数行書かれている詩は、あの詞だった。
ゲンズブールの詞。

破滅的で懐疑的なシャンソンを書き、唄った、
セルジュ・ゲンズブール。
破滅という深く暗い穴を覗きこむようなその詞は、どこ
か哀しく美しい。怖いと思いながらも共に暗い穴を覗き
こみ、自ら墜ちていきそうになる。
確かに、ゲンズブールの詞の持つ怖ろしさと美しさは、
どこか似ている。小池真理子の小説の魔力と。
「近親相姦」という「禁断の恋」
小池真理子の魔力を発揮するには、うってつけの題材な
のかもしれない。

生まれてすぐに誘拐され、ずっと消息を絶っていた弟、
崇雄は、「昭吾」という名の青年となって、姉「澪」の
前に現われる。
この美しい姉弟の叔母であり、ふたりの父親「嶋田圭一」
の愛人だった「美沙緒」。
物語はこの3人を軸に進んでいく。

昭吾(崇雄)を生んですぐに亡くなった圭一の妻は、美沙
緒の姉である。美沙緒が圭一と深い仲になったのは、姉の
死後だ。だから、不倫ではない。だが、最後まで籍を入れ
ずにいたふたりの関係には、やはり「禁断」の気配が色濃
く漂う。
父親によく似た「昭吾」の出現に、美沙緒は「圭一」を思
い出さずにはいられない。
その圭一に溺愛されて育った澪は、父亡き後、醒めた人生
を送る女になっていた。その澪が昭吾に惹かれていく。
そして、昭吾も……。

すべては、この「昭吾」が現われたことによって、転がり
始めるのだ。
深く暗い穴に向かって。

だが、「姉」と「弟」という関係が、ふたりを留める。
異性として惹かれる自分から目を背け、背けるからこそ、
より強く惹かれあう。触れることにも、抱き合うことにも
躊躇する。制するからこそ、どうしようもなく触れたいと
思う。
大人同士でありながら、プラトニックを強いられる恋。
もしかしたら、これこそが「究極の恋」ではないだろうか。

こんなシチュエーションを築き上げられる小池真理子は、
やはりすごい、と思う。
そんな物語に読み手を無理なく引き込んでしまう、その手
腕に脱帽する。
大作であった『狂王の庭』も、人妻とその妹の婚約者とい
う禁断の恋だった。その時も、こういう物語を安っぽいロ
マンスなどにせず、文学として読ませてしまう小池真理子
に唸ったものだったが、この「レモン・インセスト」は、
それよりももっと儚く哀しい。
寄り添うふたりが、呪いをかけられた一対の彫像のように
美しい。

涙がにじむほどに酸っぱくて、
眉をしかめるほどにほろ苦く、
切ないくらい瑞々しい「レモン」のような「禁断の恋」


本を閉じたとき、
身を切るように哀しいゲンズブールの歌声が、鼓膜の奥に
聴こえていた。





+小池真理子「レモン・インセスト」
光文社・1400円