nakatagai.jpg



小皿をふたつ貰えるかな
女将が頷いて、白木のカウンター越しに、
赤紫の萩がたなびく小皿を差し出す。
大振りの秋刀魚がのった横長の皿と二枚の小皿を、
自分の方に引き寄せながら、彼は言った。
取り分けてあげるよ。

秋刀魚は、満月の下のさざ波のように、
てらてらと銀色に光っている。
太った腹に箸を入れ、横一直線に切り目を入れる。
秋刀魚の身に描かれた水平線を境に、上下に身が開かれて、
あらわれた白い身に湯気が立ち昇る。

骨からきれいに剥がされた身を小皿にのせ、
彼は私に差し出した。
小さな刀の形をした秋刀魚の身を口に入れる。
無駄のない箸使いで切り取られた身は、
香しい油と滴るような旨みをたっぷりと含んでいる。
あっさりと裸にされていくさかなの姿に目を見張りながらも、
次々と小皿にのせられる身を、夢中で食べる。
美味しいだろ。
ほくほくと白い身を頬張ったまま、私は笑顔で大きく頷く。
気が付けば、
私の皿の上にあるのは、きれいに大きく切り取った厚い身ばかり。
彼は、骨に寄り添う身をほぐし、
ほろほろと崩れた身を箸でつまんでいる。
口に入れてから、小骨だけを器用につまみ出す。

こっちを食べたら。
私が自分の小皿を押しやると、彼は首を横に振り、
そして言った。
さかなって、美味しいもんでしょ。
その言葉と、一字一句違わぬ言葉を胸に浮かべていた私は、
思わず、ふふっと笑ってしまう。
今、そう思っていたところ。
私の返事を聞いた彼も、満足そうににっこり笑った。



今日のお薦めはなに?
キンキの煮付け。
間髪入れずに女将が返す。
魚好きのあなた達が来たら絶対に出そうと思っていた、
と、彼女は丸い鼻に笑い皺を寄せる。
青磁の大皿に、牛蒡と一緒に盛られた一匹付けのキンキ。
赤い肌が煮汁を含んで、照り輝いている。
燃え尽きる寸前の紅葉のように、深い赤。

女将も、もう心得たらしい。
黙っていても彼の前に、
小皿をふたつ並べて置いた。
たっぷりと煮汁をはった大皿を引き寄せて、
彼がその身を剥がし始める。
箸を入れるそばから、
盛り上がるようにあらわれる、ほっこりとした身。
醤油色の煮汁を含んだそれは、
骨の間際で真っ白になる。
しっとりと濡れた白。
大きく剥がれた身だけが、私の小皿にのせられていく。

手を煩わすことなく、私はただ食べ続ける。
彼は相変わらず、こまめに骨をよけながら、
小さな身を口に運ぶ。
さすがに、なんだか気が引けて、
私が取り分けようか、と何度か言った。
彼は、その度に首を横に振る。

美味しい。
キンキの旨みをたっぷり吸った牛蒡がまた旨いよな。
そう言い合いながら、あらかた身を食べ尽くした頃、
彼が私の顔を覗きこんだ。
ここ、食べてみる?
小皿にのせられたのは身がへばりついている骨の欠片。
こうやって食べるんだよ、と、彼が骨をしゃぶってみせる。
真似をして、骨の欠片をしゃぶってみる。
舌と歯で、骨の間の身をこそげ取る。
ふるふるとした身から、
とろりと溶けだす旨みと甘み。

すごい!
だろ?
得意そうに、眉をあげる。
本当はね、骨の際が一番旨いんだ。
えっ?
手づかみにしてしゃぶっていた骨を口から放し、彼を見る。
じゃあ、なに? 
今まで、美味しいところは全部、
あなたが食べていたっていうわけ?
にやりと笑った彼は、さかなの頬骨をはずし、
言い訳のように私の皿にそっとのせる。
ひどい。なんて優しい人だろうって思っていたのに。
大きな身のところばかり私にくれて、
自分は屑みたいな骨ばかりをしゃぶってたから。
怺えきれず、大声で笑い出す彼。
カウンターの向こうの女将が手を叩いて笑っている。 
唇を尖らせたまま、小皿の上の大きな骨を、又ひとつ。
な? 旨いだろ?
骨を口にくわえたまま、
私は思わず笑ってしまう。

食べ物の恨みは怖いのよ。
彼の顔を覗き込んで、睨んでみせる。
さかなのことで仲違いしたりしないで下さいよ。
女将が面白がって口を挟む。
そうだな。僕らが喧嘩別れするとしたら、
原因は食べ物の取り合いかもしれないな。
大袈裟な呆れ顔を作る女将を見て、また笑いが大きく弾ける。

ばらばらに崩れた骨のなかから、
小さな欠片をひとつ、つまみだす。
ほら、と、それを私の小皿に置いて言う。
鯛の鯛。
タイのタイ?
いや、違うな。これは鯛じゃないんだから。
キンキのキンキっていうところかな。
首を傾げて見てみれば、
その透き通った平たい骨は、絵に描いたようなさかなの形。
体調2cmくらいの、小さな魚だ。
ちょうど目の辺り、マッチ棒の軸ほどのまあるい穴が、
ぽつんと小さく空いている。
その目は、からだに比べると大きくて、
丸い目をした半透明キンキは、愛嬌たっぷりの玩具のよう。
どうして、こんな骨ができるんだろう。
もしかしたら、人のからだにもあるのだろうか。
ヒトのヒト。
そう思ったら愛しくなった。
最後まで食べてやろうと、
さかなの骨をちゅうちゅうしゃぶった。

薄青い皿に残ったのは、
細い頭と、身ぐるみ剥がされた標本のような骨、
三角の尾っぽ、脇に寄せられた小さな小骨。
それだけだった。


十六年前のあの日から、一匹のさかなは、
身も骨も公平に分けられるようになった。
仲違いの理由がなくなった私達は夫婦になり、
今もさかなを取り分けるのは、夫の役目なのである。








+2003.10.17