atenonai.jpg


4月。
ふらふらとあてもなく歩いていると、
木や花や、道ばたの雑草がどうにも気になってしかたがない。

住宅街の生け垣の向こうで、ハナミズキが天を仰ぎ、
のんびりと走る江ノ電の線路際に、青く小さなハコベが群れ
上空を鳶が舞う川の端には、アジサイが若い葉を茂らせはじめている。

春から夏へ。
植物は、蠢いている。
命を萌やし、生きる力に漲っている。
そのむくむくと湧き出てくるような命に、圧倒され、引き寄せられ、
ついつい足を止めて見入ってしまう。
あてのない散歩は、なかなか前に進まない。


江戸時代、遊郭のあった吉原では、
3月1日に「桜祭り」が開かれたという。
3月1日――とうぜん桜の花など、まだどこにも咲いていない。
だが、吉原にだけは、満開の桜があでやかに咲きほこっていた。
植木職人が「咲かせた」のだ。

江戸時代の文献をたよりに、あるTV番組が桜の「開花調整」を試みた。
掘り起こした桜の木を小屋に横たえ、根が乾かぬように筵を巻く。
薪ストーブを燃え、明かりを灯す。
数日後。
桜は、小さな蕾をつけはじめた。兆(きざ)しのような青く固い蕾だった。
しだいに蕾はそれと分かるほどに丸くふくらみ、
ようやくほろりとほころぶか、という頃。
小屋の床に、何かが散らばっていた。
小さな丸い実のようなものが、辺り一面ばらまかれている。

蕾だった。
ぎゅっと閉じたまま、蕾は、枝からこぼれ落ちていた。
蕾の落ちた枝には、芽生えたばかりの葉が、幾枚も艶やかに茂っていた。

失敗だったのか、と、半ばがっかりと、半ば安堵したような思いで
溜息をついたわたしは、続くナレーションに息をのんだ。

桜は、花を「棄てた」のだという。

このままでは、命が危ない。花どころか、木そのものの命が。
そう思った桜は、我が身から蕾を切り離した。
種を継ぐための花よりも、
光から養分をやしなうことのできる葉を選んだのだ。
自らの命を永らえるために、今年の花を棄てたのだ。

植物は、根を生やした場所から動けない。
光や水を求めて、さまようことさえ許されない。
土の中に根を這わし、天から落ちる水を飲み、太陽からの光を受けとめる。
だが、植物は、ただそこに佇んでいるだけではない。
美しい花を咲かせ、虫たちを呼び寄せ、
香しい実をつけ、鳥を招く。
害あるものには、鋭い棘を伸ばし、
傷ついた肌を、樹液で覆う。

そういえば、桜の花は「開ききる」までは、「散らない」という。
雨に打たれても風に揺すられても、花は枝で耐えつづける。
今が盛りという時に達して、はじめてはらはらと落ちていく。

今の時代、開花調整には、「発情剤」が使われるという。
発情する桜。
たしかに、満開の桜は発情しているのだろう。
種の命を継ぐために、雄を呼び寄せる動物のように。
しどけなく足を開いて、オトコを誘うオンナのように。

桜だけではない。
4月の景色の中で萌える木々には、意志があるように思えてならない。
そこに留(とど)まっているからこそ、生きることに執着し、
立ちつくしたまま、目をこらし、手を広げ、すべての生を取り込もうとする。
ふらふらと歩いていると、漂う精気に息苦しくなる。
木々や花や雑草が、怖いもののように思えてくる。
怖い、怖い、と思うほどに引き寄せられて、
傍らに立ち、手を触れて、じっと見つめずにはいられない。


あてのない散歩から戻り、部屋の窓をあけると、
柔らかな雨が降りはじめていた。
冬の頃、雨の町には色がなかった。
4月の雨に霞む景色には、色が滲んで浮き立っている。
深く息を吸い込むと、かすかに青い匂いがする。

細かな雨が、しっとりと空気を濡らしている。
萌える命の妖気に、4月の町が濡れている。