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椿が落ちている。
今の時期、ざらついた灰色のアスファルトに。
青々と茂る雑草のなかに。
黒々と濡れた庭土のうえに。
真っ赤な椿が、ころん、と転がっている。

点々と散らばる赤い椿を見ると、思わず手を伸ばしたくなる。
拾いあげ、猫の子の性別を調べるかのようにくるりと花を裏返す。
茎から離れたその根元にぽっかりとあいた空洞。
そこに、艶やかな蜜がある。

学校からの帰り道、みんなで競い合うように椿を拾った。
なぜか、枝に咲いている椿の首をもぎ取ることはしなかった。
塀や電柱の影が、午後の光を黒々とくり抜いた細い路地。
できるだけきれいな花を選び、拾い上げ、その空洞に口づける。
それは、なんともいえない甘さだった。
日なたの匂いのする白砂糖などよりも、儚くひんやりと甘かった。

窮屈になってきていたランドセルを道ばたに放り出し、
路地のあちらこちらに散らばって、言葉も忘れて椿を拾った。
しんと静かな春の中で、真っ黒な髪を風に揺らし、
まだ口紅など知らない柔らかな唇に、真っ赤な椿をくわえていた。
時を忘れ、滴る蜜をむさぼっていた。

落ちている椿を見るたびに、思わず拾い上げたくなる。
真っ赤な椿の花は、初めて知った甘美な記憶として、
わたしのからだにしみこんでしまったのだ。
それなのにあの蜜の味がどんなものだったのか、
わたしの舌はもう憶えてはいない。


口紅も、口づけも知ってしまったささくれた唇にも、
椿の蜜は、甘いだろうか。