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本を読むとき。
たいていあたしは静けさの中にいる。
その小説の世界に入り込んで漂うようにして読むせいなのか、
からだの中はいつもしんとしている。
その物語の中の音だけを聴こうとするらしく、
あたしのからだの中は真空のように静まっているのだ。

だが。
ここのところ、その静けさが降りてこない。
読んでいるときも、文字通り「読んでいる」
コトバを読んでアタマで理解している。
そうやって読んでいると、
耳の奥に、読んでいる言葉が聞こえてくる。
まるで朗読しているかのようで、
その声が、うるさくてわずらわしい。
それでももちろん物語は楽しめるし、
小説として理解できる。
でも、そうやってアタマで読んでいると、
どうやら静けさは降りてこないらしいのだ。
からだの中に静けさが満ちてこない。
苛々する。

その苛立ちの中で、初めて分かったのだけれど、
あたしは書くときも、いつも静けさの中にいるらしい。
周囲にどんな騒がしかろうと、
からだの中は、静けさに満ちている。
その静けさの中に浮ぶ映像の音を聴いて書く。
景色を見て、コトバに変える。
そこにいる誰かの声を拾って文字にする。
そうやって書いている。

だから、静けさが降りてこない、というのは、
あたしにとっては由々しきこと。
こうして書いていても、なんだかもどかしい。
先を急いで、焦って書いているような気がしてしまう。
上滑りしているように思える。
呼吸が整わないのだ。
書けないときに読む本を開いても同じこと。
いつもならたちまち静けさに満たされるような本も、効果なし。


書くことも、本を読むことも諦めて、外に出る。
人混みを避け、北風を受けながら歩いていると、
がらんとした神社の片隅にほろりと梅が咲いていた。

梅一輪。

冬の中で、ぽつりとほころんだそれは、
静かにひっそりと、途方にくれているようだった。

一輪だけ咲いた梅が、なんだか自分のように思えてくる。
ぽつんとひとり立ちつくし、
春はどこかと耳を澄ます梅。

あたしは静けさを待っている。
冬の中で途方にくれて、春を待ちこがれる梅のように、
静けさが降りてくるのを待っている。