7月。
平塚の七夕祭りに行った。
七夕飾りは確かに見事だったが、
何よりも驚いたのは、居並ぶ「夜店」の数だった。
クレープ、チョコバナナ、焼きそば、じゃがバタ。
物珍しさに、一軒一軒見て回るうちに、ふと、思った。
「綿あめ」が、ない。

幼い頃、あたしはモノをねだらない子どもだった。
だけど、たった一度だけ、祖母を困らせたことがある。
はらはらと泣くほどに欲しかったのは、
薄桃色の「綿あめ」だった。


あれは、あたしがまだ小学校にあがったばかりの頃。
ひとりで祖母の家に泊まったときのことだった。
祖母とふたり、町へ買い物に出ると、
すれ違った女の子が綿あめの袋をぶらさげていた。
ふわふわと膨らんだ薄桃色のビニール袋。
うさぎの絵の透き間から、
割り箸に刺さった雲のような綿あめが見えていた。
あ、綿あめ。
足をとめ、行きすぎるその子の姿を見送った。
祖母が、あたしの顔をのぞきこむ。
あたしは、その細くて小さな顔を見上げながら、訴えた。
「綿あめ、どこで売ってるの?」
それが精一杯の「訴え」だった。

あたしは、「買って」とは言えない子どもだった。
「欲しい」と訴えることはできなかった。
母が父と別れてから、
まわりの大人たちは、幼いあたしを気遣っていた。
できるかぎり父のことには触れず、
あたしを淋しがらせないように、と、構ってくれた。
そんな大人たちを見ているうちに、
あたしは、言葉を選ぶようになっていた。
大人たちを哀しませてはいけないと、
困らせてはいけないのだと、
言っていいことと、言ってはいけないことを選り分けてから、
ようやく口に出すような子どもになっていた。

祖母は、あたしの気持ちを察し、町中を歩いてくれた。
手を引いて、一緒に探してくれた。
綿あめ、どこかな、と唄うように言いながら。
柔らかく降り注ぐその声を聞きながら、
あてもなく歩くうちに、なぜだか涙がこぼれてきた。
「あの子は、どこか遠くに行って、
 綿あめを買ってきたのかもしれないわねぇ」
泣いているあたしに笑いかけながら、
祖母はわざとのように、のんびり呟く。
その声に肯きながらも、
いつまでも涙はとまらないのだった。

綿あめを手に入れられない哀しさなのか、
それとも祖母の優しさが胸に沁みてのことなのか。
どこかにあるはずなのに、
たどり着くことの出来ない綿あめに、
いなくなった父を想っていたのか。


平塚の、数え切れないほどの夜店の中で、
綿あめを売っている店は、たったの2軒だった。
ハッカパイプ、あんず飴、べっこう飴。
縁日の代名詞だったような懐かしいモノたちは、影が薄い。
あの後ろめたいほどに香ばしい「ソースせんべい」は、
見ることがなかった。
かき氷の店に並ぶ七色のシロップ、クリームたっぷりのクレープ、
光るウチワ、光るブローチ。
そんな華やかな夜店の狭間にある綿菓子の屋台は、
まるで色のとんだ写真のように、くすんでいた。

そこだけが夢の世界のように、
淡く柔らかく輝いていた綿菓子の屋台。
祖母と手を繋いで、探し続けた薄桃色の綿アメ。


辿り着けるのかも分からない夢のような何かを探して、
ただもくもくと歩き続ける。
そんな幼い子どもが、今も確かにいるような気がする。

大人になったわたしの中に。