ふと目覚めたら、まだ薄暗かった。
カーテンに微かな光がぼんやりと滲んでいる。時計を見ると、7時。
長い夏が終わり、ようやく秋らしくなってきたところだというのに、この頃、やけに夜明けが遅い。空の紺色が薄まって、ようやく陽が昇るのかと思うと、そこから夜でも朝でもない時間がいつまでも続く。こんな曖昧な光と闇に包まれていると、いくらでも眠れるような気がする。このまま冬眠だってできそうだ。
 今日の講義は午後からだし、もう少し寝よう。と、まぶたを閉じかけたとき、足元で何かが揺らぐのが見えた。え? と目を見開くと、そこに立っていたのは、彰ちゃんだった。
 やあ、と笑う。
 やあって、彰ちゃん。あなた2年前に死んだはずじゃなかったっけ。だって、あたし、あんなに泣いたんだもの。
 寝ぼけているのかと目をこするあたしに彰ちゃんは言う。
「ナズナ」
 あたしの名前だ。
「ニュースがある」
 少し掠れた低い声。ほんとに彰ちゃんかも。
「あと24時間で地球は滅亡するんだ」
 な、なに? もうお盆もお彼岸も過ぎたって言うのに、いきなり出てきて、その第一声がそんな冗談? そりゃ、あんまりなんじゃない。
「冗談じゃないんだ。残念ながら」
 彰ちゃんは私の胸の中のことばに返事をした。ひどく真剣な顔だった。
「どうして?」
「寿命」
 そんな。答えが簡単すぎはしませんか。
「力尽きて爆発する。それだけだ」
 私は黙った。しばらく考えて立ち上がり居間兼台所のTVをつける。が、真っ黒なだけで何も映らない。
 彰ちゃんが言う。
「テレビもラジオもネットも、もうダメなんだ。電話だけは通じるらしいけど」
 事態がよく分からなくて、あたしはぼんやりと立ち尽くしてしまった。
 彰ちゃんが窓をあけ、部屋に風を入れる。寒いくらいの風が頬を冷やして、あたしの頭はほんの少し、はっきりする。それが分かったのか、彰ちゃんは僅かに微笑んで、「ポスト」とドアを指さした。
 ふらふらと立ち上がり、操り人形みたいにドアポストを開けてみると、大きな封筒が入っていた。

 確かに薄っぺらいレターペーパーには、24時間後地球が消えると書いてあった。更に驚いたのは、分厚いファイルの中に、私の20年がみっちりと記録されていたことだった。あたしは顔をあげ、彰ちゃんを見る。
「本当なんだよ」
 そう言って静かに微笑んだ。
 いきなり涙が噴き出してきた。地球が滅亡することが怖いんじゃない。今の静かな微笑みで、彰ちゃんが本当の彰ちゃんだって分かったからだ。あたしは声をあげて泣きながら彰ちゃんをぶった。
 悲しかったんだからね、辛かったんだからね。彰ちゃん死んじゃって、あたしも死にたかったんだからね。
 彰ちゃんは、ちゃんとあたしを抱きしめて「ごめん」と言ったけど、慣れ親しんだ暖かさがそこにはなかった。はっとして顔をあげる。形のいい唇が、もう一度「ゴメン」と言う。「幽霊には肉体がないんだ。でも、どうしてもナズナに逢いたかったから、仮の肉体をまとってきた。だから体温がないんだ」と哀しそうに笑う。
 あたしは肯いて、いいよ、逢いにきてくれただけで、と彰ちゃんを強く抱きしめた。仮の肉体というけれど、その尖った肩や、胸の匂いは、あたしが知ってる彰ちゃんだった。ワークシャツに膝に穴の空いたジーンズという格好も見覚えのあるものだった。そうだ。あのファイルの中にも、きっと懐かしい彰ちゃんがいるはずだ。中学から6年間も一緒だったんだもの。
 ねぇ、ファイル、見てみようか。

 並んでベッドの上に座り、もう一度ファイルに添えられたレターペーパーを見る。まるでSF小説みたいだ。でも、不思議と疑う気持ちはなかった。書かれたこと全てが真実だと思っている自分が不思議だった。だって死んだはずの彰ちゃんに逢えたんだもの。何が起きても不思議じゃない。ふうん、インフィニティか。あれ?「インフィニティ」ってどういう意味だっけ。
「無限、とかそういう意味じゃなかったっけ」
 彰ちゃんが又、あたしの声なき質問に答える。そっか、無限か。
「高校で終わってる俺が知ってて、どうしてナズナが知らないんだよ」
 懐かしい憎まれ口。私は笑って、彰ちゃんの太股を叩く。何度も叩く。ぱちん。痛てぇ。ぱちん、痛てぇ。
 ふたりで笑いながら、水色のファイルを捲る。

 真っ赤な顔で泣いている0歳のあたし。小学校の入学式の写真には、父さんと、母さん、そしてセリちゃん。自慢の姉貴。
 そうだ。あとで、父さんとセリちゃんに電話しなくちゃ。父さんはきっと大丈夫だ。母さんの写真を横に、パイプでも磨いているんだろう。セリちゃんは、どうかな。きっとひとりで静かに珈琲でも飲んでいるんだろうな。
 高校の入学式の写真には、父さんと清子さんがいた。14の時、母さんが亡くなってから、ずっと面倒を見てくれた家政婦の清子さん。
「ナズナのほんとのオバアチャンみたいだったよな、この人」
「そんなこと言ったら、怒るよーー、清子さん。怒ると怖いんだから」
「怒るっていえば、ナズナの姉ちゃんって写真の中では、いつも怒ってるみたいな顔してるな」
 そうなの。写真撮るといつもこうなの。
 美人なんだから、もっと惜しげなく笑えばいいのにな。
 でもセリちゃん、最近よく笑うようになったよ。あの人と別れてから。おかしいよね。離婚と同時に脱皮しちゃったような感じ。
 セリちゃんが離婚したのは、彰ちゃんがこの世から消えてしまったすぐ後のことだった。セリちゃんは、ずっとあたしを心配してくれていた。自分だって、きっと大変な時だったのに。彰ちゃんのことを思い出すのが嫌で、地元を離れてひとり暮しをしたいと言うあたしを応援してくれた。だから父さんも、セリがついているなら大丈夫だと、微笑んで許してくれた。ほんの少し淋しそうに。
 考えてみれば、あたしの家族は、誰もがお互いを信頼している。きっと大丈夫、と信じてる。一緒にいるときも、そうじゃないときも。

 そうか、セリちゃん離婚したんだ。でも、オンナは強いからな。
 分かったようなことを言う彰ちゃんの足を、あたしは叩いた。今度は思い切り。手加減なく。
 オンナは強いなんて言わないでよ。強くなんかないよ。みんな、精一杯頑張ってるんだよ。彰ちゃんが死んじゃってから一年間、あたし生きていなかったもん。息吸って吐いて、味のしないものを食べて、それだけの毎日で。なんにも楽しくなくて、感じるのは、哀しいとか、苦しいとか、そんなことだけで。
 話しているうちに、又涙が零れてきた。
 彰ちゃんがあたしの肩を抱く。三度目のゴメンを言い、あたしの濡れている唇にくちづける。冷たい。けど、柔らかい。

 ふたりの間でファイルが揺れて、ぱらりと捲れた。現われた写真に、息を飲む。
「卒業式だ」
 ふたりで同時に言う。制服姿の彰ちゃんと、セーラー服を着たあたし。高校の門の前で寒そうに肩を寄せ合っている。横を歩いているクラスメート達が笑って何か言っている。この写真を撮ったのは、セリちゃんだ。お父さんは、セリちゃんの横で「もっとくっつけ」とか言っていた。みんなが笑っていた。輝かしい日。
 誰も知らなかった。この一週間後に、彰ちゃんがバイク事故で死んじゃうなんて。
 肩を抱く手に力がこもる。あたしは、彰ちゃんの顔をのぞきこむ。
 今ここにいる彰ちゃんは、あの時のままだ。あたしは、あれから2歳年を取った。その2年は苦しかったから、4つも5つも歳をとったような気がしていた。何かを諦め、何かから目を逸らし、そうやってなんとか乗り越えた。そう思っていた。でも、こうして彰ちゃんと一緒にいると、あたしはあの頃のあたしに戻ってしまう。甘ったれで、わがままで、笑い上戸で泣き虫な女の子に。こんなに簡単に、戻ってしまったら、又ひとりになったとき、どうすればいいの。

 彰ちゃんがあたしの頭を胸に包み込み、大丈夫だよ、と囁く。もう大丈夫。どこにもいかない。最後まで一緒にいるよ。
 最後? そうか、もう地球はおしまいなのね。あたしの命もおしまいになる。そうしたら彰ちゃんと同じだね。肉体が消えて、魂だけになる。
 そうだよ、これからはずっと一緒にいられる。
でも。地球が爆発したら宇宙の彼方へ飛ばされて、みんな散り散りになっちゃうんだよ。
 だから、迎えにきたんだ。最後の瞬間、杏の手を握っていられるように。もう離ればなれにならないようにね。
 あたしは、彰ちゃんの胸の中で丸くなった。冬眠する小熊のように。すっぽりと包まれていると安心だった。彰ちゃんの言葉がからだに沁みこんでくる。大丈夫。ふたりでいれば、大丈夫。彰ちゃん、ありがとう。

 彰ちゃんの腕の透き間から、つけっぱなしのテレビが見えた。宇宙みたいな真っ黒な画面の中に、時々流星のような光が走る。あの深い闇のどこかに誰かがいる。誰かがあたし達を見守っている。彰ちゃんが死んだ時には、あたしにこんな運命を授けた人を心から憎んだけれど、今は違う。運命に感謝したいくらいだ。

 開け放した窓にレースのカーテンがふうわりと揺れる。一気に秋が深まったような、ひんやりとした風。ぴったりとくっついている彰ちゃんのからだが、暖かく感じる。安心して、深呼吸をする。と、その時。すっくと立ち上がるかのように風が香った。
彰ちゃんが、あ、と唇を開く。これって……。
 そう。もうひとりいる。ずっとあたしを守ってくれた人が、もうひとり。
 彰ちゃんの胸に頬をつけたまま、あたしはもう一度ありがとう、と呟いた。
 あたし達は永遠の双子のようにぴったりと寄り添いながら、白く輝きはじめた窓の外を見つめていた。



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特集テーマ「24時間後地球が消える ―ニュース!」