月色のライトが、浅い水槽の水面に映って揺れている。
その下を、ぶつかりあうように泳ぐ金魚たち。
白地に赤い斑模様。
黒々とした出目。
さかなという形そのものの、ほっそりとした朱色の金魚。
ぐるりと囲む子どもたちが、白い薄紙を張ったポイを、
無遠慮に差しこんでは掻きまわす。
そのたびに、金魚は小さな尾を振って、すい、と逃げる。
子どもたちの後ろから、中腰になって覗きこんでいると、
一匹の金魚に目が止まった。
鮮やかに赤い金魚だった。
ぽってりと膨らんだ腹だけが、ときおり銀色に光って見え隠れする。
ひらひらと揺らめく、たっぷりとした尾ひれ。
透けるほどに薄い、胸びれと背びれ。
水面に突き出す小さな口は、ぽっかりと丸い。
まるで、あの女みたいだ。
修司とふたり、大銀杏の下に立っていた女。
浴衣の衿はしどけなく抜け、柔らかな帯は丸い尻の上で波うち、
ひらいた唇は、だらしないほどに赤かった。
今夜も残業だと電話をしてきた修司は、
家事にしか取り柄のない大人しい妻が、
日暮れてから家を出るわけはないと信じている。
ひとりで祭りに行くような女ではないと侮っている。
財布から硬貨を取りだし、タオルで鉢巻きをした男に渡す。
手に軽すぎるほどのポイと、
歪にへこんだ鋼(はがね)色の小さなボールを受け取って、
子どもたちの間にしゃがみ込む。
真っ赤な金魚だけを見て、その尾を追う。
静かに近づけば、ぬらりと光る腹を見せて、身をかわす。
その腹を狙えば、ひれを捩(よじ)ってするりと逃げる。
泳ぎ去ったかと思うと戻ってきて、
嘲笑うかのように、ぽかりと水面で口を開く。
開いた口めがけポイを突き出したとたん、
翻(ひるがえ)って水底に潜り、
これみよがしに尾を振ってみせる。
何度も、何度も、腕を濡らし、水ばかり掬い続けるわたしの手首を、
ふいに誰かが強く掴んだ。
腱の浮いた浅黒い腕。
鉢巻きの男だった。
気づけば、白い薄紙は、破けてだらりと垂れていた。
「一匹やるよ。どれがいい?」
黙って赤い金魚を指さした。
男は、呆気ないほど簡単に、ボールにそれをすくい取り、
水ごとビニール袋に流しこんだ。
青いビニール紐をきゅっと絞って口を閉じ、差し出しながら
「ひとりかい?」と聞く。
曖昧に微笑んで金魚を受け取り、立ち上がって背を向けると、
わたしは参道の人混みに紛れた。
人の波に揉まれ、押しだされると、いつのまにか大銀杏の下にいた。
指先に提げていた袋を持ち上げてみる。
丸い水のなかで、金魚は呑気に揺れていた。
紐を解き、口を広げ、一気に袋を逆さまにする。
黒く濡れた土の上に、真っ赤な金魚が、ぼとんと落ちる。
ぴちぴちと跳ねる金魚の腹は、薄闇のなかで黄色く見えた。
跳ねるほどに、その腹は、孕んだように膨れていく。
喘いでいた口がだらしなく開き、尾ひれがひくりと波打つ様を、
突っ立ったまま見おろしていると、
突然背後から浅黒い腕に絡め取られた。
鉢巻きの男の腕だった。
荒い息を耳元で聞きながら、わたしは、ぼんやりと金魚を見ていた。
胸に這う熱い指を感じながら、
くたりと尾を垂れた、
赤い血溜まりのような金魚を見ていた。
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「ミ・メディア」刊行の際に寄せて頂いたオススメコメント
◆りりこ さん
金魚は泳ぐ
物語を赤くゆらして
ネットの囲いを越えると
私の奥でぴちりと跳ねた
生きているのも
死んでいくのも
きっと同じことなんだろう
耳にお囃子の音が聞こえ
私はぽいを手にして目の前に
泳ぐ金魚を見ている
掬うしかないという思いでいつも
何も掬うことができないでいる
狭い透明なビニールに入った金魚は鮮やかで
まるで手に触れられそうな赤い色
私は
私を生きているようで
この手には触れられない
金魚の赤は私の気持ち
生きているのも
死んでいくのも
きっと同じことなんだ
息をひそめて見る
赤い金魚
ぴちり
ぴちり
◆かしのきタール さん
ミメイさんの描く作品には、しばしば繊細な画が重なって見えることがある。
丁寧に描かれた情景に心理をうつし、
セリフ少なく仕上げた上質な少女マンガのように、
ヒトコマずつにきっちりとおさまり話をつなげる画が、この目に見えることがある。
この「金魚」という作品に、そんな画を、わたしは最もはっきりと見たように思った。
祭りの喧騒を遠くにした暗い背景の上に描かれたものが
男女の愛憎であるにもかかわらず、懐かしい少女マンガの画をもって、
どこかノスタルジックな感傷を生みつつ、わたしの懐深くへと届けられたのである。
◆多胡さん
ミメイさんの作品はよくゴザンスで読ませてもらっています。
この作品「金魚」はミメイさん特有の大人の女性らしい、鋭い感性を感じました。
夫の浮気相手と金魚をダブらせた主人公の深い嫉妬心が良く描かれてると思います。
読んでいて思わずドキリとしました。
ミメイさん、これからも頑張ってください。私も頑張ります。
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実はこれサービス版(?)です。
というのも、この作品とコメントは、
拙著ミ・メディア に掲載されています。
拙著のプロモWEBの立読みコーナーに載せようかどうしようか迷ったんですが、
結局載せなかったので、ここにて公開。