まずはじめに、未明さん、初出版おめでとうございます。
手元に本が届いた時、装丁の美しさに、しばし見とれてしまいました。
日曜の午後に届いた、非日常への招待状でした。

まず、未明ワールドに浸る手がかりとして、あとがきから読み始めました。
そして、本の冒頭へ行ったのですが、「家鳴り」
冒頭の「鬱陶しい」の一文に、なんとなく気勢をそがれ、稚イ夏Ⅰへ。
でもまだ、頭に内容が入ってこず・・・「オリヒメ」へ。
ここでやっと、文章の中へと入って行けました。
いそまくらの意味など知らなくても、水の匂いのするような世界に身を浸してさえいれば、川がいつか海になだれ込むように結末までスムーズに流されることが出来ます。
この作品は相当シュールです。読み終えるのに時間がかからなかった分、後でもう一度読み返してしまうような作品ではないでしょうか。今度は立ち止まりながら。
お次の「ニンギョヒメ」は先日送られてきたタブロイド版で読んだばかりだったのでパス。
稚イ夏Ⅱへ。読んだものの、思考停止状態。次へ。
表題作「溺レルアナタ」主人公鈴の回想シーンから始まる。この作品は主人公のモノローグで語られていく、二世代に渡る「オチテユク」様を描いたストーリーとも取れます。
溺れるには、落ちなきゃいけない。落ちなきゃ溺れられない訳で。
たとえ落ちることは出来ても、うまく流れに乗ってしまえるヒトもいて。
溺れるということも、どこかで意思の力が働くものなのかもしれないのですね。
だからこそ溺れても笑っていられるのだと。
溺れることを選ぶ男だけを愛してしまう女も、たぶん世の中にはいるのだろうなぁ。
そんなことを思いながら、しばし、聞こえない筈のMDの音に身を浸していました。
一休みして、「家鳴り」へ。
たまごが先か鶏が先かみたいな質問ですが、これ、「作品市場」に掲載されてた「秋雷」の完全版ですよね?どちらを先に書かれたのかしら?やはり、「家鳴り」でしょうか。
受ける印象が違うのは、母の描写の鮮やかさからくるのかもしれませんね。
主人公の麻子が家に居続ける意味が浮き彫りになっている点も。
「秋雷」では、主人公の女性は家の犠牲になっているような感じにしか思えなかったのに、この「家鳴り」ではそれが必然として描かれています。その差は大きい。
「秋雷」よりも息苦しさは払拭されている気がします。出口のなさという点では。
しかし、主人公や母が自由になった分、姉や姉の家庭にのびている黒い影を感じます。
不自由に見える者が実は強者という、苦い含みを残して物語は終わってしまいますが、本当の強者はといえば・・・。
根っこが同じ小説でも、削ることで別物になるという見本のような作品でした。
出来れば、両方読み比べてみてほしいなと思います。

書評なんて、大それたこと、私にはやっぱり出来そうにないので、拙い感想文を贈ります。
ひと言で要約すれば、「めっちゃよかった」です(笑)
また出版されるのでしたら、喜んで読者になりたいと思います。
あとがきから読んだり、飛ばしたり、あんまり行儀のいい読者ではありませんが(爆)
栞のような2篇の詩も後からじっくり読み返しました。
未明さん手描きの絵手紙をいただいたようでした。