一番最初の「家鳴り」についての感想を書きます。
これって、ミメイさんが「作品市場」に出されていたものを新たに書き下ろしたものなんですね。以前、拝読したときに感じた衝撃なんかを思い出しながら先へ先へと目をすすめたのですが、段々と憶えの無い文章が出現し始め、すごく不思議な気分を味わわせてもらいました。

作品市場で拝読したときに感じた、麻子に対する印象と明らかに違うイメージを抱いてしまいました。

「秋雷」での麻子は、ただ自分が今置かれている環境が不本意で、それが自分自身ではどうしようもなかった「他の何か」のせい、だと捉えてるような感じがしていました。逃げだそうと思えば逃げ出せるはずなのに、敢えて自分から足にかせをはめて、家に居続けているような。
実際に逃げ出せるはずなのに、追いつめられた状況にいるのは姉のせい、だとそういう自分を楽しんでいるような感じさえしたんですよ。

でも、「家鳴り」での麻子は違ってた。強かった。
ちょっと驚きました。こういう強さが、どうして麻子にあるんだろうって。
姉の夫と関係をもったことによって、何も知らない姉への優越感みたいなそんなものもあるんだろうな、とは思うけど、もっと違う何かがありそうな。
やっぱり、母親と麻子は似ているんですね。
「秋雷」では、ここまで母親の描写が無くって、ただ我慢上手な女性かといかにも昔の人だなんて思っていましたが、それもそうではなかったことを改めて実感させてもらいました。お母さん、好きだなぁ。

それから、巨峰が出てくるシーンですごく気になるところがあって。
「秋雷」では、子供の頃、葡萄棚があったことを麻子一人が思い出すのに「家鳴り」では、姉の言葉で思い出すんですよねぇ。
特に意味は無いのかもしれませんが、お姉さんも子供の頃の記憶があるんだ、と当たり前のことに感動してしまいました。でも、一体どんな記憶なのか、自分ばかりが熟れた葡萄を口にしていたことなども覚えているのでしょうか。
覚えていて、敢えてそこで葡萄棚の話をしたのか、それともそんなこと全く頭から離れていっているのか。たぶん後者なんでしょうねぇ。
などと、とりとめのない一文でこうやって立ち止まりながら読んだんです。


でも、全てのお話を読み通してみて感じることは、ミメイさんは一体どんな人生を歩んできたんだろう?ということ。
どうしてそういう世界を創り上げることができるんだろう?ということ。
そこに行き着いてしまいます。

たくさんの人が登場して、それぞれに名前があり年齢設定も違うけど読み終えてしまうと、何だかみんな同じ人のような気がしてくるんです。
もちろん細かい描写などで、明らかに別人なんですけど、人間として描かれているというよりも、「女」としてだったり、「男」としてだったり、という感じで。
「家鳴り」の男と女、「溺レルアナタ」の男と女、など。
人間描写というよりも、女描写、男描写の鋭さに胸を打たれてしまいます。
ミメイさんが描く女性は、どうしてこうも優しすぎるんだろう。
その優しさが、ほんわか暖かいものとはちょっと違っていて魅力的です。
あー、何かうまく書けませんけど、そんな気分です。
読んでるときは夢中になって読んでいるからわからないけど、その後、少しずつ怖くなるんです。

最後の「溺レルアナタ」に関しては、私は自分自身への課題を見つけました。
他の作品と違って、これだけは、ラストの「鈴」になりきれなかったんですよ。
ずっと、自分を重ねて読んでいたのですが、ラストシーンだけ私と鈴がバラバラになってしまったんです。しばらくぼーっとしながら考え朝の6時にやっと結論がでました。
きっと、これは私自身がまだまだ未熟なせいだろう!とこの話を、5年後、10年後に改めて読んだとき、いつかきっとわかるに違いないと、何だか嬉しくなってしまいました。この話がわかる頃、私はすげぇいい女になってるようなそんな期待を胸に、この本を大切に保管することにしました。

私がいい女になってる頃、ミメイさんはもっともっとたくさんの本を出版されているのかもしれませんねぇ。ああ、置いていかれないようしなきゃ。

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